だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。
神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。
このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。
あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
Therefore you have no excuse, whoever you are, when you judge others; for in passing judgment on another you condemn yourself, because you, the judge, are doing the very same things.
You say,“We know that God’s judgment on those who do such things is in accordance with truth.”
Do you imagine, whoever you are, that when you judge those who do such things and yet do them yourself, you will escape the judgment of God?
Or do you despise the riches of his kindness and forbearance and patience? Do you not realize that God’s kindness is meant to lead you to repentance?
昨年の11月にある基地反対関連の国際連帯集会に参加した時、発言者の中に為政者のことを「精神分裂病者」として批判する人がいました。その場では障がいを持つ方から発言があり討論することになったのですが、実はその集会だけではなく、他の学習会などでも為政者のことを「バカ」呼ばわりして人格を否定する差別発言が非常に多いのです。
以前にも書いたかもしれませんが、誰が悪いかに焦点をあてて論じても「人が人を殺す」という問題は解決しないのです。
PKO法の改定等が、例えば「駆けつけ警護」では実際には何が起こるのかを、人々に知らせなければならないと思うのです
パウロの場合はユダヤ人を前提に書いているとは思いますが、神が為政者のいのちをも造られていることを忘れてはならないのです。
為政者が敵であり、迫害者であるならば、その者のために、そのいのちが善きことに用いられるように祈るべきと私は考えます。
神の豊かな慈愛と寛容と忍耐を思い起こしつつ、私たちの心の中にある「人を裁く心」を見つめ直しましょう。
イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!
神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。
このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。
あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
Therefore you have no excuse, whoever you are, when you judge others; for in passing judgment on another you condemn yourself, because you, the judge, are doing the very same things.
You say,“We know that God’s judgment on those who do such things is in accordance with truth.”
Do you imagine, whoever you are, that when you judge those who do such things and yet do them yourself, you will escape the judgment of God?
Or do you despise the riches of his kindness and forbearance and patience? Do you not realize that God’s kindness is meant to lead you to repentance?
昨年の11月にある基地反対関連の国際連帯集会に参加した時、発言者の中に為政者のことを「精神分裂病者」として批判する人がいました。その場では障がいを持つ方から発言があり討論することになったのですが、実はその集会だけではなく、他の学習会などでも為政者のことを「バカ」呼ばわりして人格を否定する差別発言が非常に多いのです。
以前にも書いたかもしれませんが、誰が悪いかに焦点をあてて論じても「人が人を殺す」という問題は解決しないのです。
PKO法の改定等が、例えば「駆けつけ警護」では実際には何が起こるのかを、人々に知らせなければならないと思うのです
パウロの場合はユダヤ人を前提に書いているとは思いますが、神が為政者のいのちをも造られていることを忘れてはならないのです。
為政者が敵であり、迫害者であるならば、その者のために、そのいのちが善きことに用いられるように祈るべきと私は考えます。
神の豊かな慈愛と寛容と忍耐を思い起こしつつ、私たちの心の中にある「人を裁く心」を見つめ直しましょう。
イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!