4-T ~レントの日々~

レントの期間、イースターまで聖句を読んで備える日々の記録

コリントの信徒への手紙一1章13節から17節

2017年04月13日 06時11分33秒 | デボーション
キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。
クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。
だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。
もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。
なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。

Is Christ divided? Was Paul crucified for you? Were you baptized in the name of Paul?
I thank God that I did not baptize any of you except Crispus and Gaius,
so no one can say that you were baptized in my name.
(Yes, I also baptized the household of Stephanas; beyond that, I don’t remember if I baptized anyone else.)
For Christ did not send me to baptize, but to preach the gospel—not with wisdom and eloquence, lest the cross of Christ be emptied of its power.

言葉の知恵によらないで福音を告げ知らせるとはどのようなものでしょうか。
また、それによってキリストの十字架がむなしいものになってしまうとはどのようなものでしょうか。
十字架につけられたのは主イエス・キリストであり、その事を直接的に理解する必要があるのだと私に考えます。
別の見方をすれば、死刑囚であるイエスの十字架は、ユダヤ人やギリシャ人にとっては愚かなものなのかもしれませんが、神の知恵としてみたとき、それが私にとって希望となるのです。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!