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4-T ~レントの日々~

レントの期間、イースターまで聖句を読んで備える日々の記録

テモテへの手紙一5章4節

2017年03月07日 05時46分37秒 | デボーション
やもめに子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだからです。

If a widow has children or grandchildren, they should first learn their religious duty to their own family and make some repayment to their parents; for this is pleasing in God’s sight.

当時のやもめに対する差別がいかようであったのかについて、私は不勉強です。
このような、勧めの言葉が残されている以上、やもめの子や孫がやもめを蔑ろにしていた実態があったのかもしれません。
現代ではどうでしょうか?
やもめとは、本来配偶者に死なれた寡婦のことを指したのでしょうが、今日では死別だけでなく離別のことを指す場合もあるようです。
問題は離別の場合に、離別というのは元配偶者はまだ生きているわけですから、その元配偶者である親の悪口を子どもの前で言い続けることで、その子も元配偶者の悪口を言うようになってしまうことです。
その子どもは、両方の親から血を分けてこの世に生まれてきています。それゆえに両方の親に由来があるわけです。
子どもは、自分の由来の半分をずっと否定しながら生きていく。元配偶者である親を攻撃しつつ、本当は自分の尊厳の2分の1を自ら傷つけることに他なりません。
もちろん、現在では単に親同士の争いだけの問題だけではなく、その葛藤常態を作出する代理人の存在があります。
そのために、色々と法整備も必要かと思いますが、理想を言えば民法第819条を改正して、離別しても子どもを協力し共同して養育していく枠組み、そして子どもの権利を考えるなら、第9条の理念をもっと国内法に反映させることです。
そうすれば、テモテへの手紙一の著者が言っているような、自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを、心から学ぶのではないか、と私は考えます。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!

歴代誌下25章5節から9節

2017年03月06日 05時42分52秒 | デボーション
アマツヤはユダの人々を召集し、ユダ族とベニヤミン族のすべての人々を家系に従って千人隊の長および百人隊の長のもとに配属した。二十歳以上の者の数を調べたところ、槍と盾を携える戦闘員として三十万の若者がいることが分かった。
また彼は銀百キカルを費やして、イスラエルから勇士十万を雇った。
ところが、ある神の人が来て言った。「王よ、イスラエルの軍隊を同行させてはなりません。主はイスラエルの者、すなわちどのエフライム人とも共においでにならないからです。
もし行くなら、単独で行って勇敢に戦いなさい。そうでなければ、神は敵の前であなたを挫かれます。神には力があって、助けることも、挫くこともおできになります。」
アマツヤは神の人に言った。「イスラエルの部隊に払った百キカルはどうしたらよいのか。」神の人は答えた。「主はそれより多くのものを与えることがおできになります。」

Amaziah assembled the people of Judah, and set them by ancestral houses under commanders of the thousands and of the hundreds for all Judah and Benjamin.
He mustered those twenty years old and upward, and found that they were three hundred thousand picked troops fit for war, able to handle spear and shield.
He also hired one hundred thousand mighty warriors from Israel for one hundred talents of silver.
But a man of God came to him and said, “O king, do not let the army of Israel go with you, for the Lord is not with Israel—all these Ephraimites.
Rather, go by yourself and act; be strong in battle, or God will fling you down before the enemy; for God has power to help or to overthrow.”
Amaziah said to the man of God, “But what shall we do about the hundred talents that I have given to the army of Israel?” The man of God answered, “The Lord is able to give you much more than this.”

「神には力があって、助けることも、挫くこともおできになります。」
この言葉を重く受け止めたいと思います。
この後、アマツヤは単独でセイル人を打ち負かし、打ち負かしたまではよかったが、なんとセイル人の神々を導入したのです。
見えない神の力を信じる。このことこそが求められているのではないでしょうか。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!

イザヤ書49章4節から6節

2017年03月05日 06時29分43秒 | デボーション
わたしは思った
わたしはいたずらに骨折り
うつろに、空しく、力を使い果たした、と。
しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり
働きに報いてくださるのもわたしの神である。
主の御目にわたしは重んじられている。
わたしの神こそ、わたしの力。
今や、主は言われる。
ヤコブを御もとに立ち帰らせ
イスラエルを集めるために
母の胎にあったわたしを
御自分の僕として形づくられた主はこう言われる。
わたしはあなたを僕として
ヤコブの諸部族を立ち上がらせ
イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。
だがそれにもまして
わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

But I said, “I have labored in vain,
I have spent my strength for nothing and vanity;
yet surely my cause is with the Lord,
and my reward with my God.”

And now the Lord says,
who formed me in the womb to be his servant,
to bring Jacob back to him,
and that Israel might be gathered to him,
for I am honored in the sight of the Lord,
and my God has become my strength—

he says,
“It is too light a thing that you should be my servant
to raise up the tribes of Jacob
and to restore the survivors of Israel;
I will give you as a light to the nations,
that my salvation may reach to the end of the earth.”

私はいたずらに骨を折った、あるいは、むなしく力を使い果たした、と考えるのは人間の視点です。
聖書を読むとき、人間の思いとは違った視点が与えられることがあります。
日々の歩みの中で、仕事でもそれ以外のことでも躓くことが多々にしてあろうかと思います。
そのような時に、無駄骨だったのか~、というような悲観的な感情を持つこともあります。
しかし、そのような人間の主観的な思いを超えて、必ず究極の客観は存在し、その方こそ正しく裁き、働きに報いてくださるということを思い起こしたいと思います。
この世の権力を持つ者の不正がどれだけ隠蔽されようとも、主はその不正を必ず見ていて下さる。そのことをまず信じたいと思います。
その確信を持ち、不正に対応する働きを続けていきましょう。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!

テサロニケの信徒への手紙二2章13節から17節

2017年03月04日 06時39分16秒 | デボーション
しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです。
神は、このことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。
ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。
わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。

But we must always give thanks to God for you, brothers and sisters beloved by the Lord, because God chose you as the first fruits for salvation through sanctification by the Spirit and through belief in the truth.
For this purpose he called you through our proclamation of the good news, so that you may obtain the glory of our Lord Jesus Christ.
So then, brothers and sisters, stand firm and hold fast to the traditions that you were taught by us, either by word of mouth or by our letter.
Now may our Lord Jesus Christ himself and God our Father, who loved us and through grace gave us eternal comfort and good hope, comfort your hearts and strengthen them in every good work and word.

パウロのテサロニケの信徒への思いは格別なものがあったことが想像できます。
今日、異邦人である私たちが福音の恵みにあずかっているのも、決して多数派ではなかったパウロの働きが、この書簡によって後世に伝えられることで偶然にも聖書に編纂されたからかもしれません。
パウロの勧める「善い働き」「善い言葉」というものが時代的な制約があるにせよ、神の力によってそのことがなされるように祈ります。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!


ヨハネによる福音書14章26節から27節

2017年03月03日 05時03分40秒 | デボーション
しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

But the Advocate, the Holy Spirit, whom the Father will send in my name, will teach you everything, and remind you of all that I have said to you.
Peace I leave with you; my peace I give to you. I do not give to you as the world gives.
Do not let your hearts be troubled, and do not let them be afraid.

イエスが残され、与えられた平和は、世が与えるように与えられるのではない、とあります。
その平和は、神様が遣わされる聖霊によるのだとあります。
私が、迫害などに遭い、心を騒がせ、おびえるとき、正にその時に、神様は聖霊を送ってくださり、主にある平和を思い起こさせてくださる。その神様の業をこそ、艱難のときに思い起こしたいと思います。
同調圧力の強まるこの世界で、あるいは様々な組織、会社の中で、不正に対する異議申し立てが「空気が読めない」と非難されるとき、私はこの神様の業を思い起こそうと思います。
人間の主観、それぞれの正義がまかり通る世の中でも、究極の客観があるのだということを信じます。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!

ヨハネによる福音書15章5節

2017年03月02日 06時05分10秒 | デボーション
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

I am the vine, you are the branches. Those who abide in me and I in them bear much fruit, because apart from me you can do nothing.


今日の聖句は、有名な箇所ですね。この新共同訳で「つながって」とされている部分に対応するNRSVの言葉は「abide」です。
日本語では自動詞としては「とどまる」「残る」「待つ」、他動詞としては「我慢する」「受け入れる」「甘受する」となります。
木と枝の関係であれば「つながって」がわかりやすいかもしれませんが、イエスにつながるということが、どういうことなのかを、もう少し丁寧に考えてみる必要があると思います。
この解釈は、他の人に強要するつもりはありません。
「律法」を守ることが救いの前提や神に義とされることの条件でなかったとしても、「律法そのもの」が私たちと無関係になったわけでないと私は考えています。かといって申命記に書かれている事柄すべてがストレートに、現代の私たちに語られていることとも考えていません。
しかし、例えば「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」ということについては、変えることのできない部分とも考えます。
この現在の日本にあって、偶像崇拝の流れに流されないでとどまるということがいかに難しいか。身をもって経験している方は私だけではない筈です。その「とどまる」がゆえに受ける不利益を「我慢する」「甘受する」ということも、このたとえには含まれているのでは、勝手な解釈ですが考えます。
イエスを離れないということの意味を真剣に考えたいと思います。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!


コリントの信徒への手紙一1章5節から9節

2017年03月01日 05時48分24秒 | デボーション
あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。
こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。
主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。
神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。

for in every way you have been enriched in him, in speech and knowledge of every kind just as the testimony of Christ has been strengthened among you so that you are not lacking in any spiritual gift as you wait for the revealing of our Lord Jesus Christ.
He will also strengthen you to the end, so that you may be blameless on the day of our Lord Jesus Christ.
God is faithful; by him you were called into the fellowship of his Son, Jesus Christ our Lord.

今日からまたレントの期間が始まりました。
イースターの日まで、またみことばを読んで感じたことなどを書き綴っていきたいと思いますが、今日のみことばを読んで、私たちがイースターよりも待ち望むべきものは何か?を教えられた気がします。
自らをキリスト者と自称する者は、果たして心の底から主イエス・キリストの現れを待ち望んでいるでしょうか?
口先だけで唱えるだけではなく、確信して待ち望んでいるでしょうか?
されば、このブログをつづることの意義も、毎日確認しなければならないと思っています。
イエス様に希望があります。今日も頑張りましょう!

イザヤ書38章1節から6節

2016年03月27日 06時36分13秒 | デボーション
そのころ、ヒゼキヤは死の病にかかった。預言者、アモツの子イザヤが訪ねて来て、「主はこう言われる。『あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい』」と言った。
ヒゼキヤは顔を壁に向けて、主にこう祈った。
「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。」こう言って、ヒゼキヤは涙を流して大いに泣いた。
主の言葉がイザヤに臨んだ。
「ヒゼキヤのもとに行って言いなさい。あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはこの都を守り抜く。」

In those days Hezekiah became sick and was at the point of death. The prophet Isaiah son of Amoz came to him, and said to him, “Thus says the Lord: Set your house in order, for you shall die; you shall not recover.”
Then Hezekiah turned his face to the wall, and prayed to the Lord: “Remember now, O Lord, I implore you, how I have walked before you in faithfulness with a whole heart, and have done what is good in your sight.” And Hezekiah wept bitterly.
Then the word of the Lord came to Isaiah:
“Go and say to Hezekiah, Thus says the Lord, the God of your ancestor David: I have heard your prayer, I have seen your tears; I will add fifteen years to your life. I will deliver you and this city out of the hand of the king of Assyria, and defend this city.

ヒゼキヤが死の病に臨んで、イザヤから遺言を書くように言われますが、神にひたむきな姿勢で善いことを行ってきたことを思い起こすよう懇願します。
するイザヤに主の声が臨み、15年寿命を延ばされることを告げられます。
私たちも自分の死がいつかは訪れるとわかっていても、やはり死の恐怖からは逃れがたいものです。
現代にはイザヤの預言者はいませんから、自分の寿命がどのくらい延ばしてもらえるのか知る由もありませんが、残された時間を主の御旨のために用いたいところです。
ところで、今日はイースターですね。
主は十字架刑という最も最低な死に方をした一人のナザレ人の死刑囚イエスを、死の淵から蘇らせられた方です。
神話として切り捨てられる方もおりますが、私はイエスを主が蘇らせられたことを信じています。
主がヒゼキヤをアッシリアの圧制から守られるよう用いられたように、私も今、「人が人のいのちを奪う」ことが合法化されようとしている状況に対して、「人が人のいのちを奪うこと」は例外なく犯罪だ、という声をあげ続けたいと思っています。
「緊急事態」という言葉で人間の権利が為政者に制限されることも問題です。
基本的人権という時の「基本的」は英語ではファンダメンタルです。キリスト教ではあまり良い意味では使われることはありませんが、基本的人権はどんなに時代や状況が変わっても変えてはいけない「永久不変の原理」です。ですから「緊急事態」が起きたからといって、人間の権利は失われてはならないのです。人権を権力者から守り抜くこの取り組みには、多くの苦しみが待ち受けているかもしれません。
人間のいのちを生かす働きに、神の忠実さがあることを肯定しつつ歩みたいと思います。

あらためて、イースター、おめでとうございます。
では、来年のレントまで、一人一人に神の忠実さがありますように。シャローム

ヘブライ人への手紙2章14節から18節

2016年03月26日 05時40分20秒 | デボーション
ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。
確かに、イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。
それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。

Since, therefore, the children share flesh and blood, he himself likewise shared the same things, so that through death he might destroy the one who has the power of death, that is, the devil, and free those who all their lives were held in slavery by the fear of death.
For it is clear that he did not come to help angels, but the descendants of Abraham.
Therefore he had to become like his brothers and sisters in every respect, so that he might be a merciful and faithful high priest in the service of God, to make a sacrifice of atonement for the sins of the people.
Because he himself was tested by what he suffered, he is able to help those who are being tested.

ヘブライ人への手紙は、文字通り異邦人のために書かれていません。
「イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられる」とも書かれています。
律法に生きる者にとって罪の代償は死です。
その死は、罪を伴う死なのです。
それゆえに、当時のヘブライ人は一生涯、死の恐怖のために奴隷の状態にあったともいえましょう。
 ところで、私は死の恐怖というものを完全に取り除けていません。毎日、殺されることの恐怖という試練を味わっています。
しかしそれでも、イエスが「試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けること」ができるということを信じています。
私も孤独感の中でも、イエスによって与えられる神の慈しみと忠実さは持っていきたいと思います。
イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!

使徒言行録10章26節から34節

2016年03月25日 05時36分04秒 | デボーション
ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」
そして、話しながら家に入ってみると、大勢の人が集まっていたので、彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。」
すると、コルネリウスが言った。「四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って、言うのです。『コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた。ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、海岸にある皮なめし職人シモンの家に泊まっている。』それで、早速あなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」
そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。・・・

But Peter made him get up, saying, “Stand up; I am only a mortal.”
And as he talked with him, he went in and found that many had assembled; and he said to them, “You yourselves know that it is unlawful for a Jew to associate with or to visit a Gentile; but God has shown me that I should not call anyone profane or unclean. So when I was sent for, I came without objection. Now may I ask why you sent for me?”
Cornelius replied, “Four days ago at this very hour, at three o’clock, I was praying in my house when suddenly a man in dazzling clothes stood before me. He said, ‘Cornelius, your prayer has been heard and your alms have been remembered before God. Send therefore to Joppa and ask for Simon, who is called Peter; he is staying in the home of Simon, a tanner, by the sea.’Therefore I sent for you immediately, and you have been kind enough to come. So now all of us are here in the presence of God to listen to all that the Lord has commanded you to say.”
Then Peter began to speak to them: “I truly understand that God shows no partiality,

この日本に生きるということは、聖書の神を畏れない人と共に生きるということを意味しています。そこでは、家制度のしがらみから逃れようと、神を畏れない人との関わりをできるだけ絶とうと回避行動をとることもあります。
しかしここで、ペトロは外国人を招き入れるということで、律法の壁を乗り越えます。使徒言行録の著者が美化している部分もあろうかとは思いますが、神は人を分け隔てなさらない、このことを今一度思い起こし、価値観の多様化というものを考えていきたいと思います。
イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!