一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、
彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」
少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。
誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
They went to a place called Gethsemane; and he said to his disciples, “Sit here while I pray.”
He took with him Peter and James and John, and began to be distressed and agitated.
And he said to them, “I am deeply grieved, even to death; remain here, and keep awake.”
And going a little farther, he threw himself on the ground and prayed that, if it were possible, the hour might pass from him.
He said, “Abba, Father, for you all things are possible; remove this cup from me; yet, not what I want, but what you want.”
He came and found them sleeping; and he said to Peter, “Simon, are you asleep? Could you not keep awake one hour?
Keep awake and pray that you may not come into the time of trial; the spirit indeed is willing, but the flesh is weak.”
目を覚ましている、ということの難しさを最近痛感するようになりました。
心は燃えていても肉体は弱い、とありますが、その心が燃えてなくて萎えています。
それほど毎日の長時間労働は私の心と体を蝕んでいるようです。
しかし、だからこそ、この朝だけでも祈る時間を確保し、祈る対象である主のことを思い、共にいてください、と願うばかりです。
このゲッセマネの祈りに学ぶのは、主イエスが自分の願うことではなく神の御心に適うことが行われるように、と祈られたことです。
自分を創られたのが誰であるのかしっかり祈りの対象を見極め、目を覚ましていられるよう、祈り求めていきたいと思います。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!
そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、
彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」
少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。
誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
They went to a place called Gethsemane; and he said to his disciples, “Sit here while I pray.”
He took with him Peter and James and John, and began to be distressed and agitated.
And he said to them, “I am deeply grieved, even to death; remain here, and keep awake.”
And going a little farther, he threw himself on the ground and prayed that, if it were possible, the hour might pass from him.
He said, “Abba, Father, for you all things are possible; remove this cup from me; yet, not what I want, but what you want.”
He came and found them sleeping; and he said to Peter, “Simon, are you asleep? Could you not keep awake one hour?
Keep awake and pray that you may not come into the time of trial; the spirit indeed is willing, but the flesh is weak.”
目を覚ましている、ということの難しさを最近痛感するようになりました。
心は燃えていても肉体は弱い、とありますが、その心が燃えてなくて萎えています。
それほど毎日の長時間労働は私の心と体を蝕んでいるようです。
しかし、だからこそ、この朝だけでも祈る時間を確保し、祈る対象である主のことを思い、共にいてください、と願うばかりです。
このゲッセマネの祈りに学ぶのは、主イエスが自分の願うことではなく神の御心に適うことが行われるように、と祈られたことです。
自分を創られたのが誰であるのかしっかり祈りの対象を見極め、目を覚ましていられるよう、祈り求めていきたいと思います。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!