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4-T ~レントの日々~

レントの期間、イースターまで聖句を読んで備える日々の記録

詩編46編11節

2017年03月27日 05時51分03秒 | デボーション
「力を捨てよ、知れ
わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」

“Be still, and know that I am God!
I am exalted among the nations,
I am exalted in the earth.”

力を捨てるというよりは、じっとしている、という言葉が今の私には適切なのかもしれません。
しかし、動きことで神を知ることが覚束なくなることも事実です。
私を創られた方は神で、国々もこの地球も神に創られたもの。
そういうことに思いをはせる時間が必要なのだと思います。
人間は、愚かな生き物だから、地位や特別な職に就いて、他の人々から頭を下げられたり、拍手をもらったりすると勘違いをすることがよくあります。
頭を下げたり、拍手をされるのは、その職に対してであって、その個人のために称賛されるわけではないのです。
そして本当にあがめられるべきお方は聖書の神以外にない、そのことを胸に刻みたいと思います。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!


コリントの信徒への手紙二1章4節から5節

2017年03月26日 06時55分42秒 | デボーション
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。

who consoles us in all our affliction, so that we may be able to console those who are in any affliction with the consolation with which we ourselves are consoled by God.
For just as the sufferings of Christ are abundant for us, so also our consolation is abundant through Christ.

神様からの慰めはどこから来るのでしょうか?
それはこの5節のみことばにヒントがあるような気がします。
私たちが、自分の苦しみを見つめるとき、そこにキリストの苦しみも同時に見出すことです。
私はパウロのように主イエスにまみえたことがありません。
ですから、何がキリストの苦しみなのかということは、聖書のみことばによらなければなりません。
何かを得たから神の慰めがあるというのではありません。
毎朝、こうして起きてみことばに触れ、生かされているという実感を味わうたびに、その命が今日も与えられている。
苦しみの中にもこうして命が与えられている、このことを神に感謝したいと思います。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!

詩編141編3節から4節

2017年03月25日 06時49分31秒 | デボーション
主よ、わたしの口に見張りを置き
唇の戸を守ってください。
わたしの心が悪に傾くのを許さないでください。悪を行う者らと共にあなたに逆らって
悪事を重ねることのありませんように。彼らの与える好餌にいざなわれませんように。

Set a guard over my mouth, O Lord;
keep watch over the door of my lips.
Do not turn my heart to any evil,
to busy myself with wicked deeds
in company with those who work iniquity;
do not let me eat of their delicacies.

口は禍の元とも言いますが、災いというよりも自分の言動が他人の人権を傷つけることがあります。
特に社会的弱者に対して。
人を生かすことのために、この口を使うことができるように神の確かさを信じたいと思います。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!

ダニエル書9章4節から7節

2017年03月24日 06時14分41秒 | デボーション
わたしは主なる神に祈り、罪を告白してこう言った。「主よ、畏るべき偉大な神よ、主を愛しその戒めに従う者には契約を守って慈しみを施される神よ、
わたしたちは罪を犯し悪行を重ね、背き逆らって、あなたの戒めと裁きから離れ去りました。
あなたの僕である預言者たちが、御名によってわたしたちの王、指導者、父祖、そして地の民のすべてに語ったのに、それに聞き従いませんでした。
主よ、あなたは正しくいます。わたしたちユダの者、エルサレムの住民、すなわち、あなたに背いた罪のために全世界に散らされて、遠くにまた近くに住むイスラエルの民すべてが、今日のように恥を被っているのは当然なのです。

I prayed to the Lord my God and made confession, saying,
“Ah, Lord, great and awesome God, keeping covenant and steadfast love with those who love you and keep your commandments,
we have sinned and done wrong, acted wickedly and rebelled, turning aside from your commandments and ordinances.
We have not listened to your servants the prophets, who spoke in your name to our kings, our princes, and our ancestors, and to all the people of the land.
“Righteousness is on your side, O Lord, but open shame, as at this day, falls on us, the people of Judah, the inhabitants of Jerusalem, and all Israel, those who are near and those who are far away, in all the lands to which you have driven them, because of the treachery that they have committed against you.

偶像崇拝の問題を考えるとき、なぜ人は偶像崇拝の罪を犯してしまうのか?という点についてよく考えなければならないと思います。
私たち人間は目に見えるものを追い求めるという習性があります。
それは人間が生きていく上で必要なものでもありましょう。
でも人間が目に見える像を作り、それを拝むというのは少し別の話です。
私には私を創られた方、主なる神がおられるという確信がありますが、戦前は「現人神」として崇拝させられた歴史があります。
戦時にプロテスタントは宗教団体法によってまとめられて日本基督教団という団体になりました。
その時の統理であった富田満は伊勢神宮参拝を行うばかりか、宮城遥拝なども信徒に強要しました。
これらの罪について、いまだ日本基督教団は真摯な反省ができていないと私は思います。
これからも、私は偶像崇拝に甘い体質に対して異を唱えていきたいと思います。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう

詩編57章2節

2017年03月23日 05時52分37秒 | デボーション
憐れんでください
 神よ、わたしを憐れんでください。わたしの魂はあなたを避けどころとし
  災いの過ぎ去るまで
   あなたの翼の陰を避けどころとします。

Be merciful to me, O God, be merciful to me,
for in you my soul takes refuge;
in the shadow of your wings I will take refuge,
until the destroying storms pass by.

神様の憐れみを今、私は必要としています。
災いが過ぎ去るまで避難する場所が私には必要です。
そのために私の心の目を、神様の憐れみに向けさせてください。
そして、神の国が来ますことを望みます。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!

テモテへの手紙二1章7節から8節

2017年03月22日 05時50分45秒 | デボーション
神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。
だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。

for God did not give us a spirit of cowardice, but rather a spirit of power and of love and of self-discipline.
Do not be ashamed, then, of the testimony about our Lord or of me his prisoner, but join with me in suffering for the gospel, relying on the power of God,

私は本来、臆病な人間なのだと思うことがあります。
どうして苦しむことが福音=良い知らせなのか、と自問自答することもあります。
しかし、苦しむときにこそ神の力に支えられているのです。
パウロたちが受けていた苦しみと、私の抱えている苦しみとは比較のできないものがあろうかと思いますが、力と愛と思慮分別の霊が私たちには与えられているのです。
昨日でしたか、「共謀罪」の閣議決定がされたのは。
テロ等準備罪と名称を変えましたが、本質的な部分、予備行為だけで取り締まれるという部分は同じはずです。
どうやって予備行為をしたかどのような技術を使って立証するのかという部分が一番怖い部分です。
まだ法律案をよく読んでいないので今日のところは詳しい意見を差し控えますが、先日裁判所で否定されたGPS捜査も立法化すればよいとも読めます。
インターネットも監視され、街を歩けば監視カメラやドライブレコーダーに記録され、今また知らないところでGPSをつけられるかもしれない監視社会に生きざるを得ないという、この生きづらさ、あなたにはわかりますか?
これからこの刑法の問題に立ち向かう時に、私を臆病風が襲うことでしょう。
その時に、主が共にあって力と愛と思慮分別の霊を送って下さり、その力に支えられることを確信します。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!

テモテへの手紙二1章8節から10節

2017年03月21日 05時47分27秒 | デボーション
だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。
神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、
今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。

Do not be ashamed, then, of the testimony about our Lord or of me his prisoner, but join with me in suffering for the gospel, relying on the power of God, 9 who saved us and called us with a holy calling, not according to our works but according to his own purpose and grace. This grace was given to us in Christ Jesus before the ages began, 10 but it has now been revealed through the appearing of our Savior Christ Jesus, who abolished death and brought life and immortality to light through the gospel.

パウロは長いこと囚われの身であったようです。
この苦しみの状況は計り知れませんが、明らかにパウロは神様のご計画、主イエス・キリストによる救いを確信しています。
その聖なる招きというのは、私たちの行いによるのではないとも言っています。
囚人にこそなりませんでしたが、主イエス・キリストを信じるがために、私も憂き目に遭いました。
でも、それが本当に憂き目であったのかどうかは、わかりません。
神様が聖なる招きに呼び出してくださったとも言えます。そう確信しています。
パウロもイエスの兄弟ヤコブのエルサレム共同体との折り合いが悪く、それでこのような目に遭っているのだと思いますが、
誰が今日、このような四面楚歌のパウロによる書簡を目にできると予想できたでしょうか?
主の御計らいは、私たち人間の常識を超えて善きように私たちを用いてくださいます。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!

コリントの信徒への手紙一15章19節から20節

2017年03月20日 07時02分31秒 | デボーション
この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

If for this life only we have hoped in Christ, we are of all people most to be pitied.
But in fact Christ has been raised from the dead, the first fruits of those who have died.

この聖句を読んだとき、19節の言葉は私自身のことを言っているのか、と考えました。
私は2つの神に仕えることはできないので、キリスト以外のものに望みを置くことは考えていません。
今朝もこうして生かされていることは、神様に感謝すべきことなのだと思います。
しかし、そういう私もそれだけのために、何かと蔑まされることも多く惨めだなと自嘲することもあります。
この世の基準で考えて比較をするとそういうことになります。
キリストにならい、私たちも、眠りについたものも復活するときが来る。
その希望を信じるからこそ、この世の基準では測れない別の基準、神の国を求めているのです。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!

ヨハネによる福音書17章3節

2017年03月19日 07時39分55秒 | デボーション
永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。

And this is eternal life, that they may know you, the only true God, and Jesus Christ whom you have sent.

私は永遠の命というものを信じています。
ただ、信じているということだけでなく、信じる対象が何なのか、それを知ることも肝要かと考えます。
主なる神とイエス・キリストのことを知ることは、一方で何が救いで、何から救われるのか?ということを知ることでもあります。
その上で、旧約聖書に書かれている律法に対する罪の自覚というものを、さらに徹底された主イエスの厳しさというものを、一面であることを知る必要があると、私は考えています。
罪の自覚がますます深まったところで、私たちの魂は砕けていきます。
それでも、主なる神、イエス・キリストは私たちを見放さない。
そう確信していくことが、永遠の命につながるものだと思います。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!

コリントの信徒への手紙二5章15節

2017年03月18日 06時50分21秒 | デボーション
その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。

And he died for all, so that those who live might live no longer for themselves, but for him who died and was raised for them.

今朝の聖句は非常に単純な御言葉ながら、日々の煩わしい生活の中で見失いがちな視点を示してくれています。
主イエスが死なれたのは、ユダヤ人だけにとか、立派な行いをする人にだけのためにではなく、すべての人のためになのです。
このパウロの考え方は、決して順風満帆とは言えなかったパウロの、どちらかというと四面楚歌に近かった宣教活動が、残された書簡によって伝わり、またヒエロニムスがウルガータに律法の書も詩編もこれら書簡も入れてくれたおかげで、現代までこうして、異邦人にも救いの道が開かれていることが伝わっていると言っても過言ではありません。
そして私たちは主イエスが復活されたことをも信じることができます。
主イエスのために生きる、その一歩を今日も歩ませていただくために祈りたいと思います。
主イエスに希望があります。今日も頑張りましょう!