つまり”修行時代”だったからだろうか。
一般に、芸の道は厳しくそれは生涯続くものだそーな。
自分が完成したと思えば、そこで上達は終わり。
到達点がないのは、剣舞も同じだろう。
芸の道を志す限り死ぬまで続く研鑽の歩みは、歳を食った今も当然続いていると言える。
本当のところは、50を越えた今でもわからない。
ただ、40前後の楽しさと比べたら、なんで20代はあんなにしんどかったのだろう。
体力的には、十分なのに。
たぶん、無駄の多い動きだったからかもしれない。
その割には、踊りに芸能としての味もなかったのだろう。
気取って言えば、その若さがじゃまをしていた・・・と。
剣舞は、それだけ難しい踊りと言えるのかもしれない。
だからといって、40代に入って剣舞は完成されたとは言えない。
ただラクにはなった。
単に、だらけただけだったのか?
先輩方からはあまり指摘されることはなくなった。
それは、ただあきらめられたからかもしれないが(笑)
それなりに自分の世界を作り出したと言えば、言い方としては格好がつくかもしれないが、不遜な思い上がりもいいところだろう。
しかしともかく当然ながら、楽しい40代の剣舞だった。
だから若い連中、とくに30代になったばかりのあるいは20代後半の、ちょっと悩んできたな・・・という若者たちに、「心配すんな」と言ってやりたい。
ま、無責任な発言だけんど(笑)
継続は力なり!
苦しい坂の上には、手に届く雲がなびいている・・・って、ちょっとこれはパクリっぽいな。
ははは。
いろいろやって、もう終わりのころにおもしろくなるのだろう。
肉は、腐敗直前がいちばん旨いとか。
ちょっと、たとえが悪いか。
いずれ、ある時期になると楽しめるようになった。
だが、20代はそんなことはなかった。
まず、「スポ少どは違うんだからな」と言われた。
たしかに剣舞に入った当初は、剣舞っておとなもやるんだーと意外に思ったものだ。
小学生のころから踊っている剣舞は、小学校でやるものだと勘違いしていたからだ。
もっとも、私だって小学校のときと大人になってからの踊りはぜんぜん違うものだということは理解できていた。
が、たしかに違っていた。
踊りの内容については、まったく違っていたともいえる。
当時先輩たち(現役メンバー)も、「踊りを統一した」と発言されていた。
岩崎は踊りがばらばらだというのが定評だった(笑)
それはそれぞれ「俺のまねをしろ!」という世界だったからだ。
私は、それが岩崎の強さだとも思っている。
雑種犬が病気に強いのと同じ・・・などというと叱られるか。
いずれ、したたかな強さはそのまま踊りの魅力にもなる。
これは常に生活を共にする仲間たちの阿吽の呼吸ともいえるだろう。
また、そんなべつべつの連中が、踊りの最中にときどき合う視線がうれしかったりする。
踊りは本番で覚えるものだというのが定説だった。
公演先のステージで、面を着けた不自由な視界なのだが、そんなとき面の小さな穴を通してバシッ!と合う視線が気持ちよかった。
踊りが合うことも意味していた。
そんなことが分かるようになるには、やはり4~5年かかったと思う
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