なので、設置した受付に届けられるお花は昔から青年会の収入になっていた。
現在の青年会も同様だと思う。
今は部外者なので、詳しいことはわからないが(笑)
花とは寄付金なわけだった。
しかし地域の皆さまは、まるで会費のごとく律儀に持って来て下さっていた。
ありがたいことに。
だから、青年会は私が入ったころから地域の団体のなかで一番お金持ちだった。
祭りの演芸会や神輿運行、はては盆踊り主催と大きな”収入源”があったためだ。
実はほとんどが、地域への還元金や経費で消えてしまうのだが。
が、やり方によってはけっこう残った。
私たちもそうだった。
なので、私らはまず欲しかった自前のテントを購入した。
”財産”を持ったわけだ。
はりきって岩崎一区青年会と名前を入れてもらって、江刺の業者に発注した。
以前は、地域から借用したテントを祭りの屋台などで使用していた。
すぐに返却したのだが、そのあとすぐに葬式があったそーな。
受付などのため、さっそくそれを再び開いて建てたそーな。
そしたら、ぷ~んとあのにおいが。
屋台でさんざん焼いた、イカぽっぽや焼き鳥のにおいがしみついていたのだった。
それが周辺に漂い、非常にいやな気分にさせてしまったという。
ので、祭りの屋台などで自由に使える、自前のテントは悲願だったのだ。
利益は、青年会自身のために使うのが妥当だと考えた。
39歳以下の、若者の集まりだ。
青年会って、そーゆーものではないのか?
入った当初から疑問・・・というより、不満に思っていたことだった。
その頃、同時に在籍していた二区青年会が楽しかったせいもあったろう。
以前の岩崎一区青年会は、いわば大人っぽい団体だった。
お金の使い方も、祭りの還元金はもちろん体育振興会や区内の各スポーツ団体への助成など、まるで自治会のような考え方だった。
そのあと、私は自分たちの交流会などを計画することに。
けっこうお叱りを受けたが(笑)
だって、青年会じゃん。
若いから遊んだっていいじゃんか・・・と。
やるべきことはやってるんだし・・・
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