シヤッターのある風景

シャッターの写真を撮りまくる「シヤッター写真家」がシャッターについて語ります。随感、記録など。

店は閉じても物語は続く

2020-05-18 19:37:00 | シャッター
シヤッター写真家です。
今回もシャッターの魅力について語らせていただきます。

ウェルカムシャッターをどうぞ。お楽しみください。

初回のブログでは「哀愁こそがシャッター最大の魅力」と述べました。
そして私は、「哀愁」には悲しいだけではない時間の厚みが感じられると思っています。
シャッターやその写真を眺めているときは、在りし日の店の様子や、閉店から今日まで雨風を耐え忍んできた日々など、シャッターが辿ってきた「時間」をしばしば想像しています。

シャッターは、緞帳。

上記はマニアフェスタで私が毎回打ち出しているキャッチコピーです。
緞帳(どんちょう)とは、劇場などで舞台と客席を分けているあの幕のことです。



閉まっているシャッターを見ると、舞台が終わった後の緞帳を眺めているときと似た気持ちを抱きます。
裏側で繰り広げられた物語に思いを巡らせ、余韻に浸るかのような。
舞台と違って、本当の物語はお店の方に直接聞かない限り知ることはできません。
ただシャッターが辿ってきた軌跡や周囲の登場人物を色々と妄想してみる行為は、結構楽しいです。



私の中で特に妄想が盛り上がった写真がこちら。
シャッターそのものも年季が入っていて見どころですが、字の途中で途切れてしまった看板が目に付きますね。おそらく減築で建物の右半分を無くしたまま、そのままになっているのでしょう。

こういうところから店主の方の思いや人柄を妄想してみるのですが、最近になってこの看板、見た人によってまったく解釈が異なることが判明しました。

①店名を削除または修正するコストや労力を惜しんでの放置

②途切れた店名に特に違和感を感じない店主の方の大らかな性格

③思い出の看板を元のままに残しておきたいという愛着

国語の問題のような正答はございませんが、皆さんはどの説だと思いますか?
私はどちらかというと②の説を支持していたのですが、今は他の方から指摘された③の説に完全に心を掴まれています。

もちろん、この3つ以外の解釈もきっと存在します。
肝心の物語が内側に閉ざされているゆえ、こうして自由に物語を紡いでいけることがシャッター鑑賞の楽しさなのです。


背の順に並んだ鉢植えからは几帳面さや遊び心が感じられる


坂と屋根の角度をきっちり平行に揃える、強いこだわり

皆さまもぜひ、シャッターから思い思いの物語を読み取ってみてください。
また、記事中の写真について想像したことがあれば、ぜひコメント欄でお聞かせください。


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