皆さま、初めまして。
シャッターを楽しんでますか?
申し遅れました。シヤッター写真家と申します。
住宅や店のシャッターに注目し、写真作品を制作している者です。
写真集「シヤッター」(Web:https://48tter.jp)
よろしければ作品サイトをご覧いただけますと大変嬉しいです。
と、お会いした方には大体上記のような自己紹介をしていますが殆ど毎回、戸惑われています。
シャッターが楽しむものだなんて、考えたことのある方は多くないはずです。
そこで当ブログではシャッターの楽しみ方についてご提案させていただきます。
「何言ってんだこいつ」状態かとは思いますが、とりあえずウェルカムシャッターをご覧くださいませ。
シャッターの楽しみ方、
それは「哀愁」に浸ること。
楽しみ方と言いつつ、このような導入で何か矛盾しているような気がいたしますが、ご容赦ください。
しかし、哀愁こそがシャッター最大の魅力だと私は考えます。
シャッターは哀愁の化身です。見た人を強制的に悲しい気持ちにさせる力があります。
「シャッター通り」の例(友人提供作品)
「シャッター通り」など、ネガティブな社会問題を表現する際に用いられている言葉だからでしょうか。
シャッターという存在はどこか物悲しい印象を帯びています。
本当は営業時間外の建物を物言わず守ってくれているありがたい存在なのですが。
ショッピングや飲み会など、所謂「楽しいひと時」が繰り広げられてきた空間を完全に遮断し、周囲に静寂をもたらしています。
シャッターのある風景を切り取ると、まるで世界から音が消え失せたかのよう。
ただ、その静けさは人によっては心地の良いものかもしれません。
私は賑わいが少々苦手な性格です。
すべての建物がシャッターに覆われてしまえば、私にとって非常に快適な世界になると思っています。(社会的には大問題ですが)
なので、作品の中でその世界を実現してみようかと思いました。
というわけで、ひたすらシャッターの写真を撮り集めています。
シャッターのある景色だけを集め、哀愁に包まれた静かな世界に皆さまを引き込もうとしております。
大辞林によると「楽しむ」とは「心が満ち足りる」ことを指すそうです。
悲しさ、寂しさ、静けさで心が満たされる体験も、私にとっては楽しいものです。
哀愁の中に身を置き、心を満たしていくこと。
これが私の「シャッターの楽しみ方」です。
皆さんもシャッターを前に、哀愁を楽しんでみませんか?
最後に
このような形で、今後の記事では制作にあたって考えてきたこと、街で見かけた面白い風景などを紹介していく予定です。
お見苦しい点もあるかと存じますが、ご関心をお寄せいただけましたら幸甚です。
また作品の性質上、商店を経営なさっている方やメーカーにお勤めの方にとって失言と捉えられる表現をしてしまう場合もございます。
重々配慮の上、シャッターの良さをお伝えできればと思いますので何卒よろしくお願いいたします。