備忘録を兼ねて書いております。
長い一日になりました。10時40分に病院に着いて、帰って来たのは5時です。
そして、今日が輸血通院の最後の日となりました。
先週月曜日に、輸血ができて、調子いい日は二日だけでした。木曜日にまた38度後半の発熱しました。
訪問診療を呼んで、抗生剤の筋肉注射が始まりました。
熱が下がり始めました。「月曜日に輸血通院するかはご家族の判断でやっていいです。」となりました。
本人がそれを張りあいにしているので、もちろん、家族は通院にゴーです。
何とか病院に行けた主人ですが、血圧の上が60台から50台になってしまい、そのまま輸血は無理とまず水分点滴をやって血圧が70~80台になりました。
その後、赤血球と血小板の輸血ができましたが、主治医から家族にお話しがありました。
細菌感染からの肺炎で今も戦いの途中で、ここ1週間が一つの山です。
そして、「もう通院は難しいです。病院への途中で、あるいは輸血中に息が止まることも考えられます。」と。
「ありがとうございました。わかりました。でも主人は通院を一番の張り合いにしています。一週間が山の話はしないで、今の状態で通院することのリスクを話して、訪問診療に移行すると話してくださいませんか。」と申しました。
先生は快く受けて下さり、病院は不特定多数の人がいて、色んな細菌をもらってしまう恐れとか、疲れてしまうこととかを上手に話して下さいました。
先生にお礼を言い、後はいつも担当して、主人や家族にも優しい言葉をかけてくださった看護師さんにご挨拶をと思ったのですが、残念ながらお会いすることができなくて言伝をして病院をあとにしました。
5月2日(月)に輸血通院がスタートして、一か月半、6月16日、恐れていた肺炎を起こしてしまいましした。
訪問診療の先生は、「肺炎の治療を病院の方が対応能力が高いので入院して治療しますか。」と、本人の意思を確認してから、病院に掛け合ってくれました。
でも、病院からの返事は、急性骨髄性白血病は肺炎を起こしやすいのも特徴の一つで、それも含めて通院できない時は訪問診療一本になるという返事で、入院できませんでした。
当然ですが、主人は相当気落ちしました。
でも、主人は頑張りました。訪問診療、一日1回ので抗生物質の点滴で、奇跡的な回復を見せました。
23日(金)の夕方、訪問診療のI先生は「いやあ、すごい。胸の音が良くなっている。正直なことを言いますと回復は難しいと思っていたんですよ。」おっしゃいました。
そうなると欲が出ます。「19日(月)の輸血通院はいけませんでしたが、26日の(月)輸血通院はできますでしょうか。」と聞きました。
先生はちょっと困ったようにも見えましたが、本人家族の希望なので病院に掛け合ってくださり、26日は輸血通院ができました。
そして、また木曜日に発熱してしまったのです。
今日の通院のために主人も家族も頑張って順調に熱が下がって日曜日を迎えました。
ところが日曜日の夜、つまり、夕べ、38度台の発熱をしてしまいました。
薬だけでなく、氷枕を鼠径部、脇の下を冷やし、兎に角病院までは行くぞ、の決意でした。
私は時々起きて様子を見ましたが、実際に作業に当たったのは娘で、殆ど寝ていません。
主人の方も中々寝つけなかったようですが、頑張った甲斐あって、朝には37度を切る辺りまで熱が下がりました。
spo2が90まで行かず、気にはなりましたが後は流れに任せることにしました。
そして、トップの長い一日になりましたに繋がります。
重い話をしたので、小さなベランダの今日の画像を添えます。
お出でいただきありがとうございます。