そして、この時期になると漢詩に疎い私の頭にも決まって浮かぶ一つの漢詩があります。
古人無復洛城東 古人また洛城の東に無し
今人還対落花風 今人還(かえ)って対す落花の風
年年歳歳花相似 年年歳歳花あい似たり
歳歳年年人不同 歳歳年年人同じからず
中国初唐の詩人、劉廷芝(りゅうていし)作ということです。
花は毎年同じように咲くが、それを見る人々は毎年同じではない。
昔、洛陽城の桃の花を楽しんだ人達は既に亡くなり、
今我々が花の散るのを見ている。
何とも物悲しいですね。
日本人が愛する滅びの文学に似合い過ぎの漢詩だと思います。
桃の花がはらはらと散るのを見ての情景を歌ったらしいです。
差し詰め日本人なら桜を見ながらということになるでしょうか。
遠藤周作は晩年“散る桜 残る桜も 散る桜”と詠みました。
さて、話は散る話から180度グルッと変わります。
はい、一つの物が角度を変えると全く違うように見えますよね。
さて、私のHPのタイトルは「やさしい雨」です。
これは聖書のことばの中身から取っています。
天の父は、悪い人にも良い人にも 太陽を上らせ、
正しい人にも正しくない人にも、雨を降らせてくださるからです。
マタイ5-45
好きな聖書のことばはたくさんありますが、ここも大好きな箇所の一つです。誰が世話するわけでもない。誰が褒めてくれるわけでもない。
けれども、周りの自然は季節が巡ると同じように花を咲かせて、
私たちを楽しませ、和ませてくれます。
私たちを愛して止まない神様が、私たちのために育ててくださるのです。
そう思うと、それはなんという感謝なことでしょう。
聖書を知る前は知らなかった喜びです。
美しい花を見て単純に喜び、それが私たちのために作ってくださった神様の作品と「喜び二重奏」になるわけです♪
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