1200年の間にはいろいろありました
日本の首都だった京都に天皇が住んでいた期間は1,000年を超えます。そのため現存する京都御所もさぞかし古いのでは?と連想してしまいますが、実は幕末に再建された建物で150年ほどしかたっていません。平安京への遷都後、火災や政治権力争いのあおりで都の中を転々としており、御所が現在の場所に落ち着いたのは南北朝時代です。
1200年の間の京都御所の数奇な運命をたどってみたいと思います。
平安京時代の御所(大内裏)は、現在の京都御所から1.7kmほど西に在りました。現在の千本通が平安京のメインストリート・朱雀大路の位置にほぼ相当します。現在の市街地のメインストリートである烏丸通や河原町通りが平安時代よりもかなり東にずれていることがわかります。
政治の中心として平安京の大内裏が輝いていたのは短い間に過ぎませんでした。平安時代のほぼ中間の960(天徳4)年、内裏が初めて火災で全焼します。この頃は摂関政治を牛耳った藤原氏に権力移行が進み、天皇に政治権力がわずかに残された最後の時代でした。摂関政治の後は上皇が権力を握る院政の時代となり、その後は江戸時代まで武家政権が続くことになります。
内裏の火災は天皇の権力の落日を象徴するような出来事となり、その後も火災は頻発します。
960年の内裏の火災は平安遷都から160年以上たって初めて起きており、その後も火災が頻発します。実に不思議です。この要因として960年頃から儀式が夜間に行われるようになり蝋燭の明かりが火災の原因になったとする説があり、結構納得できます。
天皇は一時的な里内裏を転々とすることが常態化していきます。重要な儀式も、大内裏の大極殿ではなく、里内裏に設けられた紫宸殿で行われるようになっていきます。
平安京の大内裏は平安時代末の院政期には使われなくなっていました。在位中の天皇が政治権力を握れず天皇の住居の近くに政庁を構える必要がなくなったこと、火災で使えない状態が頻発したこと、がその原因と考えられています。
鎌倉時代初期の火災で内裏と大内裏はついに再建されなくなり、内野(うちの)と呼ばれる農村になっていきます。豊臣秀吉の聚楽第が一時的に造営されますが、明治以降に宅地化されます。
平城宮と異なり、宅地化されて発掘調査ができないため、平安京の大内裏の様子は文献に頼らざるを得なくなっています。千本丸太町交差点付近が大極殿の跡地で、児童公園に建てられた石碑でわずかに往時をしのぶばかりです。平安京の大極殿は明治時代に、規模を5/8に縮小して平安神宮・外拝殿として復元されています。
【京都市観光公式サイトの画像】 大極殿跡
現在の京都御所は、南北朝時代の北朝側の光厳天皇が里内裏としていた邸宅が原型です。足利義満や信長といった時の権力者が自らの威光を示すべく整備を進め、秀吉の時代に京都御所の周りに公家の屋敷が集約され、現在の京都御苑のエリアがほぼできあがります。
京都御所はいつでも見学できるようになりました
江戸時代だけで6回も火災にあっていますが、幕府がすぐに再建していました。現在の京都御所の建物は、幕末の1855(安政2)年に建てられたものです。紫宸殿と清涼殿は古式にのっとって寝殿造で再建されています。明治・大正・昭和天皇の即位の礼が紫宸殿で行われました。
御所内の建物は、明治の初めと太平洋戦争中に解体されており、現在は幕末再建時の半分程度にとどまっています。
京都御所周辺の公家屋敷は、東京遷都に伴い公家も東京に移住したため、荒れ放題になっていました。それを嘆いた明治天皇が保存を命じ、巨大な公園として整備され、現在の京都御苑に至ります。
御苑内では、九条邸の茶室と庭園、閑院宮邸跡地がわずかに江戸時代の面影をとどめています。御苑外の喧騒から隔離されたとても静かな空間です。いずれも見学できます。
京都御所の東側にある現在の仙洞御所は、1627(寛永4)年に後水尾上皇の邸宅として幕府が造営したものです。1867(慶応3)年の火災で建物は焼失し、庭園だけが現存しています。
仙洞御所に隣接する大宮御所は、仙洞御所とともに後水尾上皇の后・東福門院の邸宅として幕府が造営したものです。現存する御殿は1867(慶応3)年に孝明天皇の英照皇太后のために造営されました。この際に仙洞御所の庭園と一体化され、明治以降は皇室や国賓の宿舎として利用されていました。
現在、国賓の宿舎の機能は隣接する京都迎賓館に移りましたが、皇室の宿舎としては引き続き使用されています。
仙洞御所の大自然は江戸時代から変わらない
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。
四季を通じた京都御所の「雅」を愚直に伝える写真集
参観案内(宮内庁)
http://sankan.kunaicho.go.jp/index.html
京都御苑(環境省)
http://www.env.go.jp/garden/kyotogyoen/index.html
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