「あなたは本当に降らせるのですね。血の雨を」
幕末、動乱の中、人斬り抜刀斎と恐れられ、
天誅と称し暗躍した男がいた。
その男、名を剣心と言う。
その男は、人を助けたい一心で剣を抜いた。
だが剣を振るえば振るうほど、その心は削ぎ落とされていくだけだった。
ある日、剣心の前に白梅香の香りがたちこめた。
剣心にとって死を彷彿とさせるその香りの中で、静かに美しい女が立っていた。
悲しみの白い着物を纏った女は、雨の中でもひときわ香り立った。
そう、たとえ血の雨の中でも。
その女、名を巴と言う。
血の雨の中、白梅香の香りと共に出会った2人の運命は交差していく。
それから巴は剣心のそばにいた。
「傷は…血は出なくなりましたか?」
ある日、頬の傷を見つめて巴が言った。
巴は、剣心と共に歩く時も小刀を離さず身につけた。
狂乱の世、身の安全のために。いや、剣心に仇を打つために。
「刀を持たないあなたは優しすぎる。」
次第に巴は泣いていた。それは気づいてしまったからだ。
剣に心を囚われたはずの、敵討ちであるはずの剣心を、
愛おしいと思ってしまっていたことに。
剣心は、それはそれは優しく、ひどくまっすぐな男だった。
「あの人は、殺めてきた人の数よりも
多くの人を救うと私は信じている。
だから私は、あの人を命をかけてでも守らなきゃいけない。」
剣心にとって巴は幸せの象徴となった。
幸せは、あまりにも小さいところにあり、そしてあまりにも尊いものだった。
巴には許嫁がいた。だが天誅としてその男を打ったのは剣心だった。
消えない十字傷の始まりはその男の最後の一太刀がつけたものだった。
密かに目論まれた剣心暗殺の時がくる。
全てを知った剣心は虚な心で巴を探した。
「俺には、巴を守る資格なんてなかった。
俺はあの人の大切な人を奪ったからだ。」
力ない剣心に敵は容赦なく剣を振るう。
剣心の瞼の裏には巴の姿がうつろいだ。巴を思って剣を振りあげた。
そう、巴を守ると決めたからー。
巴は敵の前に飛び出していた。
そう、剣心を守ると決めたからー。
そして、刀は振り落とされた。
剣心の一太刀を背負った巴は、剣心を見上げ、頬の傷に十字に刀を添えた。
もう亡き夫への想いを断ち切るように、
剣心がこれ以上剣に苦しめられないために、
そして、剣心に愛していると告げるために…
「ごめんなさい…あなた。」
巴は死んだ。
剣心には、ほおの十字傷だけが残された。
それから10年、剣心の傷はまだ消えていない。
だが動乱の名と共に人斬り抜刀裁は消えた。
時は流れ、活気づいた江戸に、凛と咲く桜色の着物を纏った薫という女がいた。
薫の営む道場には「活心真如」と掲げてあった。
人を生かす剣。意は、心を生かし、あるがままに。
「剣は凶器、剣術は殺人術。それが真実。だが拙者は、その戯言のほうが好きでござるよ。」
そう言う男の頬には十字傷があった。剣心はるろうにになっていた。
そして、彷徨い歩いた流浪の旅は、流れ着いた。
巴の墓の前、
「巴さんに、剣心はなんて言ったの?」
そう聞く薫に剣心は穏やかに応えた。
「薫殿と同じでござるよ。ありがとうとすまないを…。そしてさよならと。」
剣心は薫に手を差し伸べた。
剣心はゆく、薫と共に新しい時代の、償いの路を。