心のよりどころ。毎日が日曜日。

恩師に人のために生きることを学びました。
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一言、言いたい

2009-04-30 20:15:04 | 受験・学校

一言、言わせて。

「体罰」もいい想いで

今回の体罰の裁判で、判決結果が出ましたが私は良い結果の判決と思います。

先生が胸倉を抑えて壁に押し付けたことに対する体罰か否かの裁判でした。私に言わせれ

ばまだまだですよ。小学校のときはバケツに水を張って両手に持たされて廊下で立たされ

ました。中学校ではダルマストーブのジュウノウで頭を叩かれたり、算盤の玉のほうで頭

をグリグリされたりしましたが、今ではそれも学校時代の想い出の一つです。親であれ、

先生であれ言葉で言っても、わきまえない子供をしかるのは当たり前のことで、何度注意

しても判らない場合は体罰しかありません。現在の体罰に関する通達は「殴る蹴る」身体

に対する苦痛を与えることを禁じたもの、と言うことだそうです。しかし、これも曲解さ

れて、教室で騒ぐ子供を立たせるといった当たり前の指導も「苦痛」「人権侵害」などと

子供や親が文句を言う例が多いのだそうです。このようなことを原点に戻って考えてみま

すと、子供の態度とか礼儀、挨拶などの生きてゆく最低の常識は家庭で親が躾けるのが本

筋の話ではないでしょうか。学校は勉強や共同生活を教える場であって躾を教えるところ

ではない。現代の親は、自分のしなければならない躾の義務を放棄して、何でも学校の
(せい)
所為にして自分の主義主張だけを突っ張り、なんでも人の所為にするというような風潮に

あります。これでは先生は萎縮してしまいまともな教育は出来ないのが現実です。

誰でも、言葉で注意しても素直にわきまえない子供に対しては体罰で挑むほかないでしょ

う。何も悪いことをしない子供を叱る先生はいません。

痛い思いをしなければ判らない子供には痛い思いをさせるほか方法はないと思います。

もっと現場の先生が教育に専念出来るよう、先生と親と子供が協力し合わなければ益々

教育現場は荒廃してしまうのではないでしょうか。

低年齢の犯罪が増加している現状、みんなでもう一度考えるときがきています。


「蒔かぬ種は生えぬ」 二宮尊徳

2009-04-25 16:56:19 | 生きる智慧

ちょいといい話

二宮尊徳の名言 「蒔かぬ種は生えぬ」

「蒔かぬ種は生えぬ」の道理は、昔からよく言われたことで、富と幸福が欲しいなら、

まず土地を耕し、種を蒔き、草取りをする勤労の積み重ねが必要です。と言っています。

賢者は、この道理をよく知っていて、勤労努力して良い因果関係をつくるのです。働いた

原因で、その後の実りと豊かな暮らしが結果として出るのです。

これは現代の事柄にも当てはまることで、努力なしでは良い結果は生まれないのです。

愚かな人は働かず、努めず、自分の不利、不運を嘆き、富める人をうらやむばかりで、

不幸の原因が自分にありことを知らないのです。

尊徳は人の幸、不幸、運、不運を、一粒の種を蒔き、土を耕す努力から始まると教えまし

た。「積小為大」は尊徳哲学の原点といえます。工夫して努力する事に意義があるのです。

「自助努力する者」を神は助けるのです。努力をしない者はただ見守るだけで、神は助け

ないことを知るべきです。

上杉鷹山の残した言葉

「為せば成る、為さねば成らぬ何ごとも 成らぬは人の為さぬなりけり」。

尊徳は自然と貧困の中で人間理解を深めていきました。人の幸福は、まず勤労に励み、貧

困から脱却することからはじまる。積み上げた富貴を守るためには、人に譲り、社会に譲

るために計画し実践しなければならないと人々に教えた。「推譲」により人を幸福にするこ

とで自分も幸福になるという。釈迦の教えでは「布施行」に当てはまります。

今、金があっても働かずに怠けていたら、貧に陥る。貧しくても働き、倹約すれば、必ず

後に富に至る。と農民を励ましたといいます。

お金は「お足」といいますが、あっという間に底を尽きます。金があっても働かないとす

ぐに無くなることは皆さんご存知でしょう。


成功への道

2009-04-19 18:29:53 | 生きる智慧

ちょいといい話  成功への道。

現代に通じる二宮尊徳の教え「積小為大」

小を積んで大と為すのが成功の原点(積小為大のすすめ)

千里の道も一歩から、一株ずつの田植があって豊穣の収穫がある。

すべては一から始まり、その積み重ねで大きな事業が達成できる。

コツコツと地道に小事を続けることが成功の鍵であり道であると思います。

*小事を嫌って大事を望む者に成功はない。

世間の人は、とかく小事を嫌って大事を望むけれども、本来、大は小を積んだものです。

だから、小を積んで大をなす他に方法はない。

現代の若者の風潮として、真面目にコツコツ努力することを卑下するようなところがあり

ますが、一歩一歩の努力は、今でも成功の原理として存在する。

*小を積む努力なしに夢の実現はない。

大事を成し遂げようと思う者は、まず小さな事を怠らず努めるがよい。

それは、小事を積んで大となるからである。

普通、世間の人は何か事をしようとして、しなければならない小事をせず、いきなり難い

ことに挑戦して頭を悩ましているが、出来やすい事をしない。それで大きな事も出来ない。

大は小を積んで、大となることを知らないからである。

*早起きが富と成功への第一歩。

「早起きは三文の得」とは昔からの言葉ですが、人生を無為に過す事なく、勤勉さが富に

至る道であると、古人は知っていたのです。とくに早朝の仕事は、自然の理にかない、

能率はバツグンです。

現代の責任ある立場の人が、ときに過ちを犯すのは才知に頼り、この基本的な因果の法

則、無駄を省き小を積み重ねる努力をするという原則を忘れるからです。個人が失敗して

も影響は少ないでしょうが、国を動かす政治家や経営者の誤算は多くの国民や社員、家族

の不幸を招き、企業が大きければ社会問題にまで発展する。それが混迷の元になるので

す。現代の世相がそうではないでしょうか?と思います。

*金銭が多すぎるのは不便の至り。

世の人はみんな金銭の少ないのを嫌って、ひたすら多いことを願うけれども、もし金銭が

各人の願いどおりに多かったとしたら、砂や石と何の相違もない。そんなに金銭が多かっ

たら、わらじ一足の代金も、一夜の宿泊代も札束一背負いいうことになる。

何不自由なく育った子供達は、お金は知恵と勤労で稼がねばならないものとは思ってはい

ません。親を脅せば、自分は働かなくても金が出てくるとさえ思っています。

自立心と忍耐力が育っていないのです。この間違いが殺人、強盗、麻薬、売春などの犯罪

の芽となり、不幸の種が蒔かれるのです。善悪の判断を教えず、過保護と金品の与えすぎ

が、子供の欲望をふくらませ犯罪を生むのです。同感・同感

*働いて後に楽しみを得るのが人生の基本。

最近の風潮に、真面目にコツコツ働く者をバカにする様子が見えるのは良くないことです。

アリとキリギリスはよく話題にされます。好きなことをして富を得られるのは結構ですが、

遊んで富が得られるようほど人生は甘くありません。

アーティストや作家など一見華やかで好きな仕事をしているように見えても、個性的な仕

事であればあるほど、人に知られぬ努力と苦労の積み重ねがあることを知るべきでしょう。

「働いた後富を得る」という人間の基本的な考え方は、人生を成功させる意味で、昔も今

も変わりません。人生も仕事も、決して甘いものではないこと、しかし、努力は必ず実る

ことも、若い人に知って貰いたいのです。


尊徳の思想・哲学・言葉

2009-04-15 19:18:23 | 生きる智慧

ちょいといい話

二宮尊徳の思想と哲学・言葉。

尊徳は、「一家を廃して万家を興す」を自ら実践し、家屋敷、田畑をすべて売って桜町陣屋

(栃木県芳賀町)に家族と共に移り住み、至誠を貫き、忍耐のうえに「勤労・分度・推譲」

を生きる道として「一円融合」「万象特性」「報徳」の思想を富と幸福の哲学として人々に

教え伝えたと言います。

尊徳の言葉には日本人の道徳力を高める知恵が溢れている。といいます。

尊徳を知るキーワード。

「報徳」:尊徳の思想全般を報徳という。すべてのものの徳性(価値や特性)を認め生かす

    (報いる)こと。

「心田開発」:何事を成し遂げるにも、まず本人のやる気を起こさせることが第一であり、

    それによって一人ひとりが自立できる基盤を育成することができる。

「至誠」:至誠とは真心であり、これこそが尊徳の生き方や思想のすべてを貫いている精神。

「推譲」:分度を守ることにより余財を生み出し、それを家族や子孫のために蓄えたり

    (自譲)、広く社会のためや未来のために譲る(他譲)。そうすることにより幸福

    な社会が実現できる。

「勤労」:人は自分に備わっている徳を最大限に発揮して働くことにより、生きる糧を得て

    生きていくことができる。又、そうして働くことにより生きる知恵を磨き、自己

    を向上させることができる。

「積小為大」:小さな努力の積み重ねが、やがて大きな収穫や発展に結びつく。小事を疎か

    にして、大事を為す事はできない。

「一円融合」:すべてのものは相互に働き合い、一体となってよい結果を生み出す。

「仕法」:尊徳が考え出した農村復興や財政立て直しのためのやり方。

現代社会にも通用する基本的な生き方を説いているのですね。


経済学者・哲学者の尊徳

2009-04-13 17:22:41 | 生きる智慧

いまなぜ二宮尊徳か? 経済学者で哲学者の尊徳

尊徳が教えた人の道、経済自立の道。

尊徳が生きた幕末は、多くの藩の財政が破綻し、過酷な年貢米取立てに喘ぐ農民たちが

貧困と飢餓で勤労意欲を失っていた時代でした。(何か現在の世の中のようですね)

そんな中で二宮尊徳は、その生涯に六百二十か町村の財政再建を成功させ、多くの農民

たちを救い、藩の財政建て直しに指導力を発揮して貢献したと言われます。

(現在の世の中にもこんな人が欲しいですね、今の政治家や経済学者の中にはいないね)

尊徳の再建事業は、まず人の心に種を蒔き、人の道を教え諭すことから始めました。

農民の心に道徳力を高めながら経済再建を果したのです。そのために尊徳が説いた実践哲

学は、二百年の時を超えて現代にも求められるものなのです。(実感 実感)

幼名を金次郎と呼ばれた尊徳は一七八七年七月、二町三反(一反は三百坪、一町は十反)

の田畑を持つ栢山(かやま)の善人といわれた父母のもとに生まれ、幸せな幼児期を過

しますが、近くを流れる酒匂川が洪水で決壊、四歳の時に父の田畑に大半が土砂に流され

一家の不幸が始まります。

戦前の学校の校庭には、どこでも見られた金次郎像は戦後の教師らの反対で倒されて無く

なりましたが、あの柴木を背負い、寸暇を惜しんで読書しながら山道を歩く少年金次郎の

姿は、貧しくても親を助け、勤勉努力すれば必ず立派な人になれるのだと、無言の励まし

を子供達に与えていたのです。(現在の若い人は知らないでしょうね)

百姓に学問は不要と言われた時代に尊徳は、学問は人生の道を開き、自立と経済の役に立

つと信じていました。その証を立てる教えの実践こそ尊いのだと考えていました。

田畑が土砂に流された後の無理から、父は病に倒れ、金次郎の孝養も空しく貧窮の中で

病死。その二年後には母も亡くなりました。残された幼い二人の弟は母の里のあずけられ

十六歳の金次郎は父方の伯父万兵衛方に身を寄せて、ついに一家は離散してしまいます。

金次郎はそれにめげる事もなく、昼は伯父の仕事の手伝い、夜遅くまで父が残した儒教や

経済学の書物を読み、伯父に灯油が減ると叱言を言われると、友人から一握りの菜種を

借りて荒地を耕し種を蒔き、一年後には百五十倍の菜種を収穫。それを隣村で灯油に替え

て、思う存分学問を続けることが出来たのです。(凄い努力家でしたね、見習いましょう)

また農家の捨て苗を拾って空き地に植え付け、秋には一俵の稲籾を取りました。こうした

体験から「積小為大」(せきしょういだい)の法則を発見し、自立への強い信念を抱くよう

になったのです。

十九歳で伯父の家を出て生家の廃屋を修理し独立を果した尊徳は、母の死後残された六反

歩を元に徐々に田畑を買い戻し、五年後に一町五反、三十一歳になった頃には父をも凌ぐ

三町八反の田畑を持つ立派な地主になっていたのです。(凄い努力ですね)

その実績を買われた尊徳は、家老服部家の財政立て直しを行い、藩主大久保忠真公の依

頼で桜町(今の栃木県芳賀郡)の廃村復興を手掛け、役人らの妨害に遭いながらも十年後

に完成、「野州聖人(やしゅうせいじん)」と称えられます。その後、福島の相馬藩で藩財政

を建て直し、幕府の求めで日光領の財政立て直しなども行い、七十年の生涯を終えました。

(私語)
こんな実行力のある国会議員や経済学者が今の世に欲しいと思いませんか?

栃木県芳賀町や福島の相馬のことは初めて知りました。今の芳賀町は財政豊かで中学校

まで子供の医療費は無料の町です。こんな過去があったなどとは知りませんでした。

現町民も知らない人が多いと思いますよ。

文章の()内は私の言葉です。