とにかく、ケーザイか感染対策か、と2択にするなんて、頭が悪すぎると思う。
というか、2択だと思わされているのが歯がゆい。
古馴染みの飲み屋さんがベニヤ板で囲まれていて、泣きそうになりました。
とにかく、ケーザイか感染対策か、と2択にするなんて、頭が悪すぎると思う。
というか、2択だと思わされているのが歯がゆい。
古馴染みの飲み屋さんがベニヤ板で囲まれていて、泣きそうになりました。
「ちびちょびきちょびーず」のカテゴリーには、ちっちゃなきちょちゃんたちのお話を入れています。
隣の部屋で大人が話しているのを聞きながら寝るのが好きでした。
でも、うつらうつらしているところに、怖い話や嫌なテレビの音が聞こえてくる時もありますね。
夢にならない夢がやってきます。
ひょっとすると、ほんとに怖いものがいるのかもしれません。
大丈夫。きちょちゃんは今日もうさちゃんといっしょなんですから。
谷内六郎先生みたいな絵を、一枚でも描けたらいいなぁ。
昭和30年代の町場の子供の親は、地方から出てきて頑張っている人が大勢いました。
父は山から、母は海から上京して、一生懸命に働いていました。
栗に虫がいると、父は「栗の虫は食べられるから怖がることはない。甘くてうまいのだ」と教えてくれました。食べはしませんでしたが、見るとなかなかに、まるまるしゴニョゴニョ動く、可愛らしいものでした。
母方のいとこに「東京もんは虫が怖いんだ」とバカにされていたこともあって、私は虫を好きになるココロのシュギョーをして、今ではけっこう虫が好きです。
さて、懇意にしてくださる小父さんから、栗をたくさん頂いたので少しずつ茹でて食べることにしました。たいへんおいしい栗で、ほのかな甘みが上品です。すぐに全部茹でればよかったのです。
ほとんど甘栗しか食べたことのない私は、知らなかったのです。栗の虫は外から穴をあけて栗に潜り込むのではないことを…。
数日後、大勢の可愛い栗の虫が、外に出てきて、私のガッキュー的好奇心の対象と、転がして遊ぶ玩具になりました。そのうち・・・数が増えると、どうして可愛いはずの虫が怖くなってしまうのでしょう?
好奇心と怖さは、人間が生きるために身に付いたものですが、このように同時に進行せねばならぬ時に、どちらの方に立ち位置を持っていくかで、その人間の人格が形成されていきます。
・・・私はバカです。
SNSでリクエストされてかいたので、こちらにも投稿。
子供の頃は、全然ウサギに見えなかった。
月にウサギがいるのは、何も持たぬから自分自身を食べてくれと身を火に投げたウサギさんを、お釈迦様が憐れんで月に送ったという仏教説話に基づくものだったと思う。(すみません、調べてみてください)
という事は、インドではもともとウサギの影が共通認識だったので、それが説話に結び付いたのか?そのお話が日本にわたってくる以前は、日本人はなにに見立てていただろう。これも地方によって様々だったのではないだろうか。そんなことどうでもいいという地方もあっただろうし。
カニに見立てるのは中国だったろうか、女神様とも言うんだったと思う。子供の私には女神さまの顔が見えたが、写真によってはどこに行ったかわかんなくなる。とにかく上海ガニを画くつもりで、シオマネキになっている。
月の男は,M。パリッシュが面白いのを画いていたのでヨーロッパのどこかか?
みんな、おそらくどこかの誰かからでしかないけど広まっていった。
マスコミのない時代に生まれたかったと時々思う。
すみません、今日書いたものは、何も裏付けを取っていません。ご興味がありましたら申し訳ありませんがお調べくださいませ。
月の写真はウェザーニュースからです。