実況列伝 2016

飯塚ミッドナイトは5月から

実況列伝2 ファンと選手の垣根

2010年01月27日 | 回顧録&日記
 この写真は今年の正月レース、飯塚選手会の新年のファンサービスの一つ、新年挨拶です。 多くのファンの皆さんが来てくれました、選手会を代表して井上代表が威風堂堂の挨拶をしました。取り分け、印象的だったのが、彼の口から最後に漏れた言葉・・・飯塚最強軍団!
 静まりかえっていた、ファン席からは一際に大きな拍手が沸き起こりました。
この言葉の到来は長かった・・10年いや20年はかかっている、そう感じたファンも、さぞ多かったろう、待ち望む人、それに答える人、人と人のドラマがまさにそこにあります。
 時には厳しい言葉も飛ぼう、うなだれる選手、喝采をあびる選手、勝利と敗北が明暗を分ける1分50秒!、その時間にすべてをかける男達、さえぎるのは鉄の垣根(フェンス)があるだけです、14年前、一人の男の全日本選抜オートレース制覇が筑豊の眠れる獅子達の怒涛の攻勢を生む原動力となるチャンスを与えたのです。しかし、その前に船橋最強軍団が立ちはだかります。 

実況列伝2 錆びた獅子

2010年01月26日 | 回顧録&日記
 1993年1月の第2節開催は15日からの開催で84車の参加で5日間のシリーズでした。 むろん、11R制、記録では5Rまでが2連複、6Rからが2連単の形になってます。来月、開催される全日本選抜オートレースは数えて23回となりますが、この時は第4回から第5回開催となり船橋の島田信広、飯塚将光とその最強ぶりを天下に示していた時代でした、飯塚の選手でも第5回開催の水崎正二の2着が最高で優勝とはなっていませんでした。
 第7回開催(飯塚開催)でも島田信広に制覇され、地元優出は片岡賢児の7着が一杯でした。無論、船橋の勢いを阻止する、強者は未だ、筑豊にはいなかったのです。
 まさに獅子は錆びて寝ていた状態が蔓延していたのです、
 この平成4年、第10回開催でも主力、中村政信ですら、地元開催で準優敗退が続いています。つまり勝てない、日々が重くのしかかる絶命期だったのです。
 獅子は・・・獅子は未だ錆びていたのです。

 PCが復活しました、ご心配をかけました、まだ本調子ではありませんが書き込みを再開します。

戦いを終えて・戻る静寂。

2010年01月22日 | 回顧録&日記
有吉選手の優勝で幕を閉じました。にしけい杯、やっぱり彼でしたね、追い込みにキレがありました。
次から次にレースが彼に斡旋されてくるでしょう。
 それに答えなければならないでしょう、上位入賞という、かたちでファンにアピールする!
この事が実力者に求められてきますからね、それまでゆっくり翼を休めてください。
日本一の弾丸S!

考え方は2つ!

2010年01月21日 | 回顧録&日記
多分、貴方は東小野選手の事を言っているのだと思いますので、彼に関して解決案を2つ述べます。
まず一つはあてになるか、ならないか? レースが買う者にとって、買う者のレースが成立していない事だろうと思います、スタートでの失敗、道中での絡み、つまり車券の対象に阻害してくるならば、そういうレースは手を出さない事です。
 2つめは彼が自分の走り、レースに対する考え方を自己批判、基本的に精神面の強さを補強できるまで応援しつつ、勝負になるレースのみ買うか、つまり雨のみ!又忍耐強く待ってやり、成功するまで見守る事だと思います。

この二点で望んで頂ければよろしいかと思います。
審議は競艇と違い確かに多く感じますが、それは基本的に一緒です。
いずれ詳しく述べますPC復活の日に