実況列伝 2016

飯塚ミッドナイトは5月から

実況列伝 第2章 序曲

2009年12月24日 | 回顧録&日記
 第2章の始まりは1993年の飯塚オート1月の正月レースからです、つまり平成4年度となり、4月から新年度、平成5年度開催となります、はて?とお思いでしょうが!? ま! 世の中はそういうもんです。
 世のオート地図は船橋3強時代のまっさかりで島田信廣、片平巧、岩田行雄、この3人がブイブイと覇権争いを演じていました。 特にこの当時、凄かったのが”片平巧選手で”飛ぶ鳥も落とす勢いで他を圧倒していましたし、天才片平、セアの申し子、などと呼ばれていたほどです。
 私の友人も生まれた子供の名前に”巧”とつけるほどの人気ぶりでその強さはケタが違いました、まさに《片平イズム》の到来でした!
 特にその乗り方も独特で滑らしながら乗ると言いましょうか、ズルズルなのです
各コーナーの突っ込みも浅く摩擦抵抗すら(ナイター開催でのスリッパー【鉄下駄】からでる火柱があまりでない男でした)つまり摩擦があまり無いのです。
ということはスピードが落ちていない、ことになります、だから立ち上がりの切り込みが素早く、彼に横に並ばれると、もうそのときは抜かれているのです、だから彼はイン屋(内を使う選手なのです)インを使う者はオートを制す! まさにその言葉どうりの選手でした。  
 一度、川口オートにお忍びでお邪魔したときに神様に(広瀬登喜男さん)に会う機会がありましたので片平選手の事を尋ねたんですょ、そうすると神様は広瀬登喜男さんは、( あっ! 片平君はズルズルなんだ、あれでよくコケナイよね!)と言ってましたね、当時、私もインタビューを飯塚で(優勝戦)した時には常に冷静でニヒルでしたょ、ニャリと不敵な薄笑いが印象的に残っています。
 その片平巧を猛追したのが同じ19期の中村政信でした。この2人の火花の散りあいは、そり~ゃ凄かったですね!! 火傷しますょ!
 当時、東の横綱、西の横綱なんてね、言ってました。

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1 コメント

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リクエストです。 (Unknown)
2009-12-24 17:09:07
中村選手が落車したのに また走ろうとしたと聞きました。その話が詳しく聞きたいです!中村選手… レースを見たかったです!
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