実況放送を始めたのは確か1993年16年程前でJPFに採用されてからの話で社員ではなく放送専科でありました。
放送に関しては学生時代から、こそこそと経験を積んでいましたが本式の特に、ギャンブル実況は始めてでありました。
JPFの先輩アナから指導を受け、飯塚オートに配属となった経過です。JPFのアナは競輪業界では猛者的なベテラン・アナを多数競輪業界に送りだしおり、普通の民放局アナとは違いレースに精通しており、ルールや競技内容さらにはギャンブルマンであります。
だから知りすぎる専門アナ集団でした。
何気ない言葉にも専門用語(ギャンブル語)を駆使する人材は多く、競輪放送のチャンネルをご覧いただきたいと思います。
話を私に戻します。
CS放送の始まる以前、場内実況の形でオート実況が飯塚オートで始まりましたが何んせ、実況の歴史は競馬、競輪と歴史は古いものですがオートの実況は皆無と言って良いくらい無かったのです。
局アナが時折、記念レースを中継放送をしていた程度の数で、一般開催などは無かったものです。
全国6場あるオートで場内実況は無かった事です。
とにもかくにもゼロからの船出でありました。