常さんの徒然写真日記

旅や趣味を写真を主に紹介、でも何となく鉄道旅行が主なテーマになりそう。

宮崎から人吉へ

2013年09月18日 | 旅行

宮崎空港駅から都城へ。宮崎空港発(1434)-南宮崎着(1440) 南宮崎(1444)-都城(1554) 

 817系電車 青井岳駅 JR九州の最新型近郊型車両。車内は木を生かしたクロスシート、円形のつり革支持バー、そしてドア間1枚の大型窓さらには従来は保安上から禁じ手と考えられたブラックマスクなどJR九州らしい斬新なデザインとなっている。但し高速走行用車両で無いためヨークダンパーを省略しており、特に峠を下るときなど速度が少し上がると左右上下の振動がかなり大きく、連結部の互いの踏み板の間が10cm位一瞬浮き上がり隙間ができるのには驚いた。

青井岳の前後には信号所がある。その昔、山間の信号所と言えどもタブレット、シグナルなどの閉塞管理やポイントの操作など数人が常駐していた。今はCTCによる遠隔操作などで無人となっている。加えて遅い貨物列車などもなくなり雑草も生い茂り使用されていないかと思ったら線路が微かに光っていた。多分特急列車優先運転の為には今でも欠かせない施設なのだろうと推定した。

   都城駅は日豊線、吉都線、志布志線など鉄道ジャンクションとして過っては壮大な鉄道基地だった。今はその跡地が太陽光発電のパネルで埋め尽くされていた。宮崎からやってきた列車は峠越えで水を使い果たし、ここ都城で10分間の間に給水、石炭を整え、乗務員は交代し鹿児島への出発を優しく見守る。ホームでは駅弁、お茶の販売などにぎやかで活気にあふれていた。

 都城と吉松を結ぶ吉都線 主役は重厚な蒸機列車から2両編成のワンマン気動車と変わったがこの吉都線発着のホームは昔のままだった。都城発(1609)-吉松着(1738)

 100周年 明るい未来が”吉都”くる のしゃれを交えたつつましやかなスローガン。この吉都線は現在は九州内最下位の乗客数となり、いつ廃止されてもおかしくない状態だが現在の日豊線が開通するまではこちらが日豊本線として存在した由緒ある線である。また過去宮崎ブームがあったころは宮崎より吉都線、肥薩線人吉を経由し博多に至る急行”えびの”なども走った時代もあったが今は1,2両のワンマン車が数往復走るだけになっている。

都城より吉松まで全線を走りぬいた列車はここから看板を変えて肥薩線となり日豊線隼人までそのまんま走る。車内放送では”そのままご乗車いただいていても結構です”と放送されてはいたが発車までは1時間弱も待つことになる。

 吉都線と肥薩線の接続駅、ここも過っては鉄道の大基地として600人を超える鉄道員がいたが今は雑草が生い茂り日に数本の列車が通うだけの静かな駅になっている。

  肥薩線も過っては鹿児島本線として開通した由緒ある線として歴史をその遺構も残る。

 吉松駅前にはC55型蒸気機関車が静態保存されている。ここの保存機は比較的きれいに管理されていた。このC55型は幹線の近代旅客用として製造されたもので後のC57型に対し最大の特徴はスポーク動輪を有しその繊細な印象でマニアには人気が高い。晩年はここ吉都線などでも客車や混合列車なども牽引していた。

 吉松駅で発車を待つ。左が肥薩線下り隼人行き。右が肥薩線上り人吉行き終列車。よく見ると人吉行きの新型車は連結器が電車と同じ密着連結器になっていた。同じ気動車とはいえ新旧お互いに連結することは全く想定していないようだ。 

吉松発(1822)-人吉着(1920)これが人吉方面の最終列車

吉松を出た人吉行きは矢岳越えの山線になる。終戦直後満載の人を乗せた列車がトンネルに入ったところで粗悪石炭のせいで蒸気圧が上がらず力尽きて立ち往生してしまった。トンネル内で猛烈な煙にいぶされた多くの乗客がたまらず列車を降りトンネルの出口に向かって歩き出した。蒸気機関車は坂道でいったん止まると再発進は難しく多くの場合いったんバックして平坦部より加速して上り直すのがいわば常道だった。ここでも列車はそれに従いバックを始めたがこの時に線路上を歩いていた多くの乗客を轢き大惨事となった。今はたった1両の軽快気動車が数人の客を乗せてエンジン音をうならせて淡々と峠を上っていく。

  肥薩線は過っての鹿児島本線ではあるが吉松-人吉間を生活路線として利用する人はほとんどなく今は山線の車窓よりの絶景を見たり壮大なスイッチバック線を見たりと観光客がほとんどでそのための列車が日に5本設定しているに過ぎない。大畑のスイッチバック駅舎には訪れる観光客の願い事や記念のカードが所狭しと張られている。

結局空港駅から人吉まで待ち合わせ時間1時間強含め5時間弱要したことになる。私にとってはなつかしくも興味深い楽しい路線だが多くの人はバスで2時間を選ぶのが普通で、鉄道自身私のような客を想定していないのも当然だろう。現にこのような経路の切符を宮崎空港駅で買ったら運賃計算に一部手違いがあり、私たちが空港内で食事をし終わるまで改札口でじっと待っていてくれて過払い金を返してくれた。

http://www.geocities.jp/itotsune6286/hisatu.htm

 



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