CHIHIROCK

死ぬまでROCK。
死して屍拾うものなし。

数学の楽しさ

2007年09月20日 03時39分47秒 | Weblog
どうも、また日にちが空きましたね。

人間だもの。

さて、以前に一度だけ勉強の話をしましたが、今回も勉強の話です。

中、高で数学に苦しめられ、大学でも統計法といもので苦しめられ、数学系の勉強はどうも苦手です。

でもね、数学自体は成績とは相反して好きなんですよ。

というか数学の世界観というものに魅力を感じます。

多くの人は「答えが一つしかないから好きだ」とか「解けたときの達成感がいい」とか、今なら「コンピュータの基礎は数学にある。だから数学なければ今の世界は存在しない」という答えもあるかもしれません。
しかし、僕の理由はそのようなものとはまったくかけ離れています。

一つ目は世界をコンパクトにしたことです。
今まではリンゴ10個を示したいときには実際にリンゴを10個持ってきたわけです。
30個ならば実際に30個持ってきて示したでしょう。
ところが「数(数字)」というものが生まれた瞬間にその作業は必要ではなくなりました。
「30」というものは「1の30倍」という意味を知ってしまえば、わざわざ30個のリンゴを持ってこなくても相手に理解してもらえるのです。
言い換えれば、現段階では存在しない数を伝えることができるようになりました。
それは「目標」や「ノルマ」というものを作り出したといっても過言ではないでしょう。
つまり、「数(数字)」は世界をコンパクトにしたのと同時に、広い膨大な概念を作り出したのです。
そして算術はその莫大な数の操作を簡単にしました。
つまり算術というものは概念上の操作のことですね。
多くの人は「兆」という数を見たこともないのに、それがどれくらいのものかを頭の中で思い浮かべることができるのも数字のおかげなわけで。

そして、僕が感動したのはグラフです。
図で数を表すというものは非常に突飛な考えです。
明らかにグラフは数の変化を見るのには数字よりも見やすいです。
一目でわかりますからね。

最後に感動したのは「ゼロの観念」です。
これも最初に述べたカテゴリーに含まれるのですが異質なので別枠にしたかったのです。
今まで数字や算術は莫大な数を取り扱うのに便利だという話をしてきました。
しかし、逆に「何にもない」という表現をももたらしてくれました。
昔の人は「ゼロ」というのを表現したいときはどうやって表現したのでしょうか?
僕なら1個のリンゴを用意して食べてしまって「この数(状態)」とかいう不器用な表現の仕方をしていたに違いないでしょう。

その観念を創ったインド人は偉大です。

数字がなければ、「借金」は減ったかもしれません(笑)
だって、莫大な、そして今その場にはないものを借りることを表現するのは難しいですからね。
100万という数を表現できなかったら100万円は借りれませんから(笑)

他にも数学で感動したものはありますが、主にこんな感じです。

書いてて思ったことは「自分はコテコテの文型思考」だということです。