G7広島サミットが昨年の5月に開かれましたが、その前から平和を取り巻く状況が変にざわついていました。
まず、かき船移転問題です。原爆ドーム、元安橋の下流、平和大橋の下流にあったかき船「かなわ」と「ひろしま」を国土交通省河川管理局から、洪水などの危険があるので元安川の死水域に移しなさい。と言われたので、広島市が「かなわ」を上流の元安橋のたもとに、「ひろしま」をずーーと下流の水主町のアステルプラザの係留場所にと指定しました。
広島市の説明では「かき船は広島の食文化だから残したい」というものでした。
私たちは「広島のかきを食べる食文化はあるが、かき船で食べる文化はありません。かき船はカキを大阪などに船で運び、船の中で食べさせたという、商売の文化です」と反論しました。広島の人間がすべて「かき船」で食べている?何人が食べたことがあるでしょうか?ほとんどの人はないでしょう。接待でお客をお連れすることは有りましたが。
私たちはドームの近くに酒席を持ってくるなと裁判を起こしました。また原爆ドーム、平和公園をユネスコ世界遺産に指定された時、水面も含めて、何も建ててはならないバッファゾーンが指定され、そのゾーンの中に在るとユネスコ世界委員会にも訴え、調査が入り「望ましくない」との指摘を広島市が受けたにもかかわらず移転を強行しました。裁判にも負けてしまいました。
一方の「ひろしま」は下流では商売にならないとして廃業しました。
それ以降原爆ドーム、平和公園のユネスコ世界遺産指定20周年だとしてライトアップをすることが分り抗議しましたが「今年だけ」という条件で光量を減してライトアップしました。 その後平和大通りの公園化、はだしのゲンや第五福竜丸の副教材からの削除、突然のガンジー像の設置、パールハーバーと平和記念公園の姉妹公園縁組。平和大通りと比治山広島駅を結ぶ「平和の丘構想、平和回廊構想」など次々出してきました。
そして極め付きは「G7サミット」で出された広島ビジョンで「核抑止力」を強調し被爆者を失望させ。
「G7サミット展示室」を被爆あおぎりの隣に建て、費用は5000万円しかも6年間だけで壊す。その間の維持費などで新たに5000万かかる・・・
広島市長が新入職員研修で「教育勅語」を礼賛し、それを以前からしていた。教育勅語は国会で使用を禁じられたにもかかわらずです。
様々ざわざわと心が騒ぐことが多いですが、私たちは声をあげ続け、行動しなければなりません。
「未来の日本の子ども達のために!!!」