昨日の日曜日「黒い雨」の被爆者の手帳申請のお手伝いをする「相談会」を海田町の「小田幹夫記念館・公民館」で2年ぶりに行いました。
相談会も2回目だし、大雨が降っているし相談者は少ないのではないかと思いながら行くと何と!15名も来られました。相談員は佐久間理事長も含めて5人、相談員ではない私も急遽書類の書き方などを教えることになりました。
私が引き受けた方は、9カ月、2歳の方と再申請の相談そして、一度役場に行って相談したけど書類はこれでいいですかと、書類のチェック希望の方でした。
それにしても、皆年寄った被爆者に書類の記入を求めたり、かき直させたりさせます。
若い被爆者でも少し認知機能低下がみられ何度も何度も書類の確認をした方もいます。
幼くて黒い雨が降ったかなど覚えているはずもなく、当時住んでいた場所で即認定すればいいはずです。
早く手帳が取得できるようにならなければなりません。
クタクタになりながら昼からは「母親大会」で地震の話。伊方原発は地震の巣の上に建っている事、南海トラフ地震より瀬戸内海にある断層が今ひずみが溜まっている。10年以内に大規模地震が起こる。
そうなったら、南区は液状化、津波に襲われ、今の県病院が無くなればかかる病院が無くなる。
広島は三角州が橋でつながっている、その橋が落ちたら皆孤立してしまう。山間部の安佐南区も津波が襲う。
何処にも逃げようがないではないですか!!!怖くなりました。県病院は統合してはなりません。