赤塚不二夫保存会/フジオNo.1

エビス化学工業に提供した4コマ漫画&内田裕也に提供したポスター

 先日、フリーマーケットサイトにこんな逸品があった。バカボンのパパが主人公の広告四コマ紙である。商品説明文には、「赤塚不二夫さんが戦後、この商品の工場で働いていて…」とあった。つまり、18歳の赤塚が新潟より上京して就職したエビス化学工業の製品の広告四コマで、描き下ろして提供したようだ。



 検索をかけてみると、どうやら現在は株式会社エビス総研に社名が変更、“ニューストロパー”とは漫画でパパの持っている消化弾の名称、“プロントケール”はその派生品である消火シートの名称だという。

 絵柄を見る限り1970年代後半の絵柄だと推測でき、商品説明文に「10年以上前の品」とあることから長きにわたって使用されていたとみなしていいだろう。赤塚の知られざる一作であり、義理を重んじる赤塚のココロがクシャクシャの紙からでも伝わってくるのがとてもいい。



 内田裕也の芸能生活15周年を記念したライブ『ロックンロールBAKA』のポスターがネットオークションに出品されていた。絵柄を見てビックリ、『くそババア!』の忘れられないキャラクター“山本八十”が描かれているなんて!





 よく見るとチケットにも使用された本官は赤塚タッチだが、劇画調コマを担当していた木村知夫(代表作・『Let'sダチ公』など)によるものではないだろうか。

 このライブは1973年9月10日に中野サンプラザで、9月12日に渋谷公会堂で開催されたもの。ポスターにもある通り中野サンプラザ公演には赤塚不二夫も出演、オープニングにロックンロール振興会の会長として登場、選手宣誓をしたという。翌1974年12月24日にも『ロックンロールBAKA2』が中野サンプラザにて昼夜1日2回公演で開催された。こちらにもどうやら赤塚が出演したようである。

 赤塚と内田はこれ以外にも親交があり、昨年3月にDVDが再販された映画『水のないプール』(1982年)でも共演(赤塚は巡査部長役。タモリも出演しており、カメラ店の店主役を演じた。)している。

 名和広さんからの補足:ジャズ評論家の相倉久人が1969年頃に内田と赤塚を引き合わせた。『今週のダメな人』や『天才バカボン』にも内田は登場し、内田からの頼みにより、赤塚はキャロルの私設応援団長を務めていた。(19.4.18)

 先月17日に亡くなったばかりの内田を今回、このような形で特集することになった。追悼の意を表したい。
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