台風一過が過ぎ去り、清々しい青空が・・・とは行かずに鬱陶しい毎日が続いています。
何処からか種が飛んできて我が家のブロック塀内に居付いたユリの花が咲いてくれました、あの台風の豪雨にも負けず突風にも踏ん張り続けて咲く花に自然って強いな~ありがとう!!
台風一過が過ぎ去り、清々しい青空が・・・とは行かずに鬱陶しい毎日が続いています。
何処からか種が飛んできて我が家のブロック塀内に居付いたユリの花が咲いてくれました、あの台風の豪雨にも負けず突風にも踏ん張り続けて咲く花に自然って強いな~ありがとう!!
この花を見ながら、あなたは色んなことを思ったことでしょう。
この写真を最後に、あなたは遠くに逝ってしまわれたのですね。
いつも力強く、そして時には心癒される写真を見せて頂きありがとう!
ご自分の体調が悪いのに、私の身体を気づかってくれる優しい人。
ありがとう。
もう一度一緒に行きたかったよ。
あの時は楽しかったね。
ありがとう!
このコメントきっと微笑みながら見てるよね。きっと きっと。
このブログをご覧の皆様。
わささんは、長い闘病生活の中、大好きな写真撮影に生きる力と喜びを得ていましたが、
2014年8月19日(火)朝、ご家族の見守る中、安らかに息を引き取られたそうです。
ご冥福をお祈りします。
この場をお借りすることをお許しください。わささんとは有るMLを通じて交信をさせて頂いていました。ここ暫くメールを
頂けなくてまた入院されたのかしらと
心配していました。
そうだったのですか、悲しみで心が
傷みます。重い病でもいつも明るい
人柄は一度もお会いしたことは無くても生涯忘れられません。最後のメールは8月13日でした。
この先も何時までも私の心の中には
生きて微笑みかけて下さると信じています。心からご冥福をお祈りします。
追伸
もしよろしかったら私のアドレスを
書いておきますのでわささんの
思い出をお話出来たら幸いです。
momijijt@yahoo.co.jpよろしくお願いします。
おめでとうございます(^O^)/
きっとみんな集まってのお祝いだったのではないでしょうか(笑)
また今日のお祝いの写真のアップを楽しみにしております。
朝夕の冷え込みで寒さを感じるようになりました。体調には気をつけて写真ライフを楽しんでくださいね!!
wasaさんとは一度青州祭りで御一緒させていただいたきりですが、とても話しやすく感じのいい紳士であられたのでよく印象に残っております。
今年の粉河祭でできればお逢いしたかったのですが、結局彼の姿を見つける事ができないままでした。wasaさんの事ですからもし撮影に来られていたら、きっと可愛い浴衣姿を撮られていたのでしょうね!
今頃はきっと若返った姿でカメラをもって撮影に忙しい事だと思います。
彼の作品をもっと見たかったですね!特に草花の写真を拝見すると、一輪の花の魅力をどうしたら引き出せるのかと試行錯誤しながらシャッターを切っているのがすごく伝わります。
撮影場所が変わろうとも、これからもずっとずっとカメラを離さず写真を撮り続けて欲しいとおもいます!!
wasaさん!これからも楽しんで撮影に励んでくださいね!
私がそちらに行ったら是非是非ご一緒させて下さいね (*^^*)
これからもよろしくお願い致します!
教えて頂けませんか、よろしくお願いします。
momiji-1941.1205@docomo.ne.jp
お礼申し上げます。
この度父が8月19に旅立ち…10月4日に満中陰を無事迎えることが出来ました。
生前中は…父がブログをしていることも知ってはいましたし、撮ってきた写真を誇らしげに「どうや」と家族に毎回自慢もしていましたが…家族だから…家族なのに…「ふ~ん」とあっけなく返していたり、あまり興味を示さなかったことも事実でした。8月の「粉河祭り」に連れて行って欲しいと漏らしていましたが家族として「疲れるから辞めておこう」と止めたことも今となっては悔やまれます。
この度父が最後に倒れ那賀病院に緊急入院した日の夜、初めてまじまじとブログを読み漁った次第でした。
逝ってしまった夜伽の日、父の遺影をどれにするか?と訪ねられ、すぐにこのブログに載せてあった「太宰治風」のタバコを持った写真を思い出し、その写真を遺影にしました。
66歳の誕生日を迎えられず逝ってしまいましたが、那賀病院に緊急搬送された次の夜、ちょうど紀の川市の花火大会でした。花火を見ながら「きれい~!!」とはしゃいでいる孫2人と家族に囲まれ時々目を開き花火の音も耳に入っていたと思います。
最後の最後まで痛いという言葉を口にせず懸命に痛みと闘っていた父の姿を見、私たちに最後の「生き様」を人生の先輩として父として見せてくれていたのだと思います。
最後にこのブログを拝見してくださっていた皆様、父の支えになっていただき、またこのブログを通して「楽しい縁」を築いていただき父もこのブログを更新したりメールのやり取りをすることが一つの大きな生きがいになっていたことと思います。家族一同感謝しています。
また、皆様に感謝の思いを伝えることが遅くなったことをお詫び申し上げます。
父が生前冗談のように、でも何度も何度も「俺が死んだら遺灰を好きな穂高の山に撒いてくれ」と言っていました。来年気候の良いころを見て、上高地から私の体力が許す限り…!出来るだけ「穂高」に近づける場所まで歩き、散骨して参ります。北アルプス「穂高」を愛した父なので喜んでくれることと思います。
娘として知らなかった父の素敵な一面、知らなった皆様と父の交流を目の当たりにし、見るたびに涙が止まりません。
娘として皆様に感謝するとともにどうか皆様ご自愛ください。
ありがとうございました。
momiji(田辺潤子)と申します。
わささん「お父様」とはメールを通じて
親しくさせて頂きました。一度も
お目に掛かったことは有りませんでしたけど、写真の批評とか日常のお話など
ユーモアにあふれた楽しい時間を
過ごせました。
時には意見が食い違ってお互いに
我を通したり・・・ご病気の事は
わささんから聞いてはいましたけど
まさか、まさかこんな事にとは夢にも
思いませんでした。
いつも明るく前向きで尊敬する
お方でした。返す返すも無念で
なりません。本当に今まで
有難うございました。心より
わささんのご冥福をお祈りいたします。
どうかお母様にも月並みですが
お力落としの有りませんようにと
お伝えください。