自転車で我が郷中の、気に入ったところ(神社・仏閣・公園・気持ちの良い風景のところ・名所旧跡・思い出のある懐かしい場所など)に行って、写真を撮って掲載しています。
開運山光照寺にサイクリングに行って写真を撮ってきました。
宗派は時宗
乙川高良町120番地
本尊は阿弥陀如来三尊立像
「張州雑志」に「海雲山光照寺、属同郡小倉村蓮台寺 開山天誉白応楚阿和尚慶長十一丙午年(1606)正月27日寂」とあり、「尾張徇行記」には「覚書ニ大野村蓮台寺末寺海雲山ト号ス、此ノ寺ハ康永元壬午年(1242)天誉海雲ノ開基也、因テ海雲山ト号ス、初メ白応院ト号セシカ弘治元卯年光照寺ト改号ス、昔時此寺三町ホト東ノ方ニアリシカ、正徳六子年(1716)奉願今ノ観音堂ノ南ノ方へ六畝歩ヲ以易地シ、観音堂境内ト一所ニナレリ」とある。
また、「尾張国知多郡誌」(明治二十六年(1893)には「乙川村高ニ在リ境内七百七拾六坪、時宗、京都四條金蓮寺末タリ(古ヘハ金山村蓮台寺末タリシト云フ)寺伝ニ云フ康永元年、本村政所源親房之ヲ建立シ開山ヲ天誉海運上人トスト」している。
寺伝によれば、興国3年(1342)源親房の援により建立と言われているが、開基上人天誉海運以降214年間記録はなく、弘治元年に天誉白応和尚が復興再建し、以後十一世覚阿諦聞和尚の代まで当村八幡社前の海辺にあった。
天明年間(1781~1789)の洪水により寺院移転を発願し、文化5年(1808)覚阿是和尚現在地での再建工事に着手し本堂は文化8年(1811)に上棟した。観音堂は本堂につづいて完成したとみられる。境内別堂の観音堂には十一面観世音菩薩が祀られている。
当寺は、知多四国十八番札所となっている。
年中行事
正月=修正会。三月=春季彼岸会。五月=大師御正当法会、千部法会。八月=四万八千日、
盆施餓鬼法会、盂蘭盆会。九月=秋季彼岸会、大師御縁日法要、観音様御縁日法要。
境内には「清水次郎長地蔵尊」の木札が付いた地蔵堂があります。清水の次郎長が、「帆桁の久六」と戦う前に願掛けをしたお地蔵さまで、勝負ごとに御利益がありそうです。
今、2月の始めで、この季節は境内の蝋梅がちょうど満開で、花ぶりは小型だが、花数が多くて、とてもきれいで見事なものでした。
開運山光照寺にサイクリングに行って写真を撮ってきました。
宗派は時宗
乙川高良町120番地
本尊は阿弥陀如来三尊立像
「張州雑志」に「海雲山光照寺、属同郡小倉村蓮台寺 開山天誉白応楚阿和尚慶長十一丙午年(1606)正月27日寂」とあり、「尾張徇行記」には「覚書ニ大野村蓮台寺末寺海雲山ト号ス、此ノ寺ハ康永元壬午年(1242)天誉海雲ノ開基也、因テ海雲山ト号ス、初メ白応院ト号セシカ弘治元卯年光照寺ト改号ス、昔時此寺三町ホト東ノ方ニアリシカ、正徳六子年(1716)奉願今ノ観音堂ノ南ノ方へ六畝歩ヲ以易地シ、観音堂境内ト一所ニナレリ」とある。
また、「尾張国知多郡誌」(明治二十六年(1893)には「乙川村高ニ在リ境内七百七拾六坪、時宗、京都四條金蓮寺末タリ(古ヘハ金山村蓮台寺末タリシト云フ)寺伝ニ云フ康永元年、本村政所源親房之ヲ建立シ開山ヲ天誉海運上人トスト」している。
寺伝によれば、興国3年(1342)源親房の援により建立と言われているが、開基上人天誉海運以降214年間記録はなく、弘治元年に天誉白応和尚が復興再建し、以後十一世覚阿諦聞和尚の代まで当村八幡社前の海辺にあった。
天明年間(1781~1789)の洪水により寺院移転を発願し、文化5年(1808)覚阿是和尚現在地での再建工事に着手し本堂は文化8年(1811)に上棟した。観音堂は本堂につづいて完成したとみられる。境内別堂の観音堂には十一面観世音菩薩が祀られている。
当寺は、知多四国十八番札所となっている。
年中行事
正月=修正会。三月=春季彼岸会。五月=大師御正当法会、千部法会。八月=四万八千日、
盆施餓鬼法会、盂蘭盆会。九月=秋季彼岸会、大師御縁日法要、観音様御縁日法要。
境内には「清水次郎長地蔵尊」の木札が付いた地蔵堂があります。清水の次郎長が、「帆桁の久六」と戦う前に願掛けをしたお地蔵さまで、勝負ごとに御利益がありそうです。
今、2月の始めで、この季節は境内の蝋梅がちょうど満開で、花ぶりは小型だが、花数が多くて、とてもきれいで見事なものでした。
