江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

「副校長補佐」という仕事ー21(変化の兆し①)

2021-03-08 | 随想
職員間の問題に目を向けて2回連続であまりパッとしない話題だったので、再びあの女の子の方に目を向けたい。

その間にも彼女は淡々と時限登校を続けていた。
実は彼女、年明けの初日に朝から登校してクラスに入るチャレンジをしたものの、失敗に終わってからは時々休むようになってしまった。
これには私もショックを受けて、本業の事務仕事をしていても落ち着かない日々が続いた。

不登校が始まった頃は欠席する際には学校に電話するという形だったものが、欠席の方が多くなるにつれて登校する際は電話するというパターンに変わっていったようだ。
ところが、私が対応するようになって登校するのが常態化するに従い、「欠席の際は電話を入れる」という通常パターンに戻った。
そのため、10時を過ぎて電話が鳴ると「あっ、また◯◯さんは欠席なのかな」と考えるようになってしまったのである。


そんなある日、中休みになっても彼女は登校しないし電話もなかった。
電話がないのだから今日は登校してくるかもしれない・・・。
どうしたんだろう? 
何か急に体調の変化があって病院へでも行ったのだろうか?

そんな心配をするのも、彼女は頭痛が続いたり突然腰痛で動けなくなってしまったりする事が何度かあったからだ。
腰痛は、整形外科へ行っても原因がはっきり分からなかったという事だった。
何れにしても、子どもなりに生活のストレスを抱えているに違いない。

ところがその日、休み時間が終わった頃に突然姿を見せたのだ。
良かった!

彼女に聞いてみると、「ママが起きてくれなかったから、私もまた寝ちゃった」ので遅くなったというのだ。
その日のお迎えの時に私はそれとなく母親にその話をしてみた。
真相はこうだった。

母親は今、間近に控えたある国家試験の勉強に集中して夜明け近くまで続けている。
目覚ましが鳴ったのに気付かなかった。
娘は気付いたが、ママを起こすのはかわいそうでそのままにしておいた。
まだ一人で朝食を準備して食べ、登校するのはできない。
その結果、電話もできず登校も遅れた。

その後はしばらく欠席もなく、順調に登校して私とマンツーマン学習を続けたが、共にある種の慣れが生じて緊張感がなくなっている様な気がした。
何かを仕掛けていく必要がある。
(つづく)

<すばる>














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