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合言葉はヒュッゲ

岸田総理に似たおばさん

半農半漁の家で育ち、就学一年前から保育園に通うまでほぼネグレクトだった自分にとって、長く退屈な時間を過ごすために自然と絵を覚え描いていた。

しかし、画用紙やクレヨンなど当然与えられず、玄関横の壁や作業場の壁に炭や石を使って落書きをした。

その絵の中に、髪をアップにしたおばさんの顔を描いた覚えがある。

自分でその絵を描いた状況を全く記憶していない。他には二つ上の姉の顔やおばけのQ太郎を描いていた。
姉に対しては、保育園に行けて羨ましく妬ましさが募り、園服を着ている姉の姿を描いた記憶はある。

オバQはとても好きなアニメだった。私的には、オバQよりドロンパという胸に星のマークをつけたおばけが好みだった。

髪をひっつめたおばさんについては、誰をモデルにしていたか、時々思い巡らせていたが、ある時、あれは親戚の伯母さんだったのではと気がついた。

そのきっかけは岸田総理。岸田総理を見ていると誰かに似てる。こういう顔をしたおばさんいるよなと思っていたが、その岸田総理に似たおばさんの絵を描いていた事が蘇る。そして、そのおばさんは母の姉の伯母さんだと。

母は七人きょうだいの末っ子で、長姉だったその伯母さんとは、17歳の歳の差があり溺愛されていた。

母は辛い結婚生活を嘆き悲しみ、よく伯母さんの家に泊まった。伯母さんには家族があり、とても裕福な社長夫人。家族皆、薄幸な母を匿うように優しく接してくれたが、当然お嫁さんにしては面白くない。

表面的には、親切に接してくれながら、時にちくちく皮肉を言われる事もあり、私はその空気を感じ申し訳ない気持ちだったが、鈍感な母は意に介さなかった。

伯母さんは母を庇い、常にお金を渡していた。母はそれに甘え、自分の不幸を換金することに長けていた。

その伯母さんがいつも私に、「お前がお母ちゃんを助けておあげ。あのお父ちゃんはどうしようもない男だから」と言い含められた。

その時の伯母さんの困ったような顔を私は壁画に残していたのだ。

岸田総理に似た伯母さん。95歳まで生きて亡くなっています。老人ホームに入所しながら、地域では砂絵の講師をしていた技を活かして、最後まで作品を遺し続けた偉大な人でした。



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