ふるきをたずねて 🌸

遊びをせんとや生まれけん 戯れせんとや生まれけん 梁塵秘抄

❁昭和17年文部省唱歌「野菊」❁ 高等女学校の戦中女子教育に学ぶ

2020-05-27 23:57:41 | 日記
唱歌『野菊(のぎく)』は、大東亜戦争中の昭和17年に高等女子向けの唱歌として教科書に登載された文部省唱歌です。 

❁❁❁❁❁❁❁❁❁❁❁

この曲を聴くと、仙台の優しかった叔母さんを思い出しますし、とても「書」が上手で綺麗な眼鏡や清楚な服を着ている近所の叔母さんを思い出します。
今から40年も前の女性たちです。

今ご存命ならば90代後半でしょうけど、仙台の叔母さん、近所の叔母さんともに共通することは、高等女学校出身だったということです。
そして、いつも慎み深く、清楚で柔和、可愛らしく、子供たちに優しい眼差しだったといことです。
今はこういう雰囲気の叔母さん達はあまり見かけなくなってしまいました。


  
 ♪ 遠い山から 吹いて来る
   小寒い風に ゆれながら
   けだかくきよく 匂う花
   きれいな野菊 うすむらさきよ

戦前の高等女子教育は、衣服(裁縫)、食物、看護、養老、育児、家庭管理、家庭衛生、割烹、家庭科学、生理衛生、教育学、音楽などのいわゆる家政学に関する教科が多く「家庭文化の継承」が主眼だったことが分かります。

また完全宿舎制の学校もあり、外来者との接触は一切禁止のほか
 「高談を慎み、いやしくも淑女にあるまじき粗暴なる行為をなすべからざるは勿論、教師年長者に対しては従順に、年少者に対しては懇切丁寧なるべし」
と規則にあります。

これは
 家庭人として
 国土の基礎を築くものは
  目覚めた母
なくてはならぬ
             「尚絅女学院七十年史より」
という教育方針のもと、女性は社会人である夫に対する「家庭人としての妻」であり、子に対しては「良識才知をもった母親」である必要を教育されたというものです。

「一億総活躍社会」をスローガンとする現代日本では、男女ともに社会で働かなくては雇用機会の均等が図れないという考えですが、
 当時の高等女学校の生徒であれば
「それでは家庭で働く女性は活躍していないということですか?」   
「社会人になることのみが、国に貢献するということではないと思います。家庭文化の継承も立派に国の礎になります」
ときっぱり断られるでしょう(後の件は実際の女学生談)。

二番の歌詞

 ♪ 秋の日ざしを あびてとぶ
  とんぼをかろく 休ませて
  しずかに咲いた 野辺の花
  やさしい野菊 うすむらさきよ  
  
ここに当時の女性によるホスピタリティとしての役割を見ることができます。
戦時中という非常事態下にあっても、慎ましく生き社会に疲れた人達を休ませるという理想の女性(母性)像が込められています。


三番の歌詞
 ♪ 霜が降りても まけないで
  野原や山に むれて咲き
  秋のなごりを おしむ花
  あかるい野菊 うすむらさきよ

石森先生の3番の歌詞は、戦後、疑義が生じます。
  「むれて咲き
に軍国主義における全体主義教育の象徴として、毛嫌いする教育者が出たということでしょう。しかし現在でも、そのまま採用されています。



今日は、文部省唱歌「野菊」について
 家庭において我が国の礎にならん
と「けだかくきよく、しずかに咲いた」近代女子教育を秋のなごりを惜しむように綴りました。
いつまでも女生徒たちに歌い継いでいって欲しい文部省唱歌です。  

また、女子の家庭婦人としての在り方をこのコロナ災禍で今一度見直してみるのも良いかもしれません。

P.S
作曲学生だった時分は、この「野菊」を作曲した下総皖一先生の教科書で対位法を学ばせて頂きました。
下総先生は、ブラームスの修辞法研究の第一人者だけあって、この「野菊」も、とても洗練された美しい旋律です。

NHK朝ドラ「エール」高原列車は行く 古関裕而

2020-05-17 03:22:00 | 日記
NHK朝の連続ドラマエール
主人公の題材古関裕而先生
の「高原列車は行く」🎵は、楽団にクラリネット奏者として在籍していた頃に、各地で吹かさせて頂いた曲です。

それ以来、勇退された先輩方との接待カラオケに担ぎ出されたときは、下手ながら毎回歌わせて頂きました。

(また六甲おろしも十八番ですから、カラオケは古関裕而先生、様々です)。


私の新婚旅行は、お金もないので会津若松と磐梯山の麓の五色沼周辺の国内旅行。

五色沼は良く晴れて綺麗な日でしたが、ボート🚣‍♂️が岸に座礁してしまい、漕げなくなっとき、実は妻の方が櫂裁きが巧くて助けられたという恥ずかしい思い出のある福島磐梯山五色沼です。





その磐梯山麓にあった、今はなき磐梯高原列車🚂がモデルになった曲なそうですよ🎵

元気が出る古関裕而さんの音楽は古関マジックですね✨まさにyellです❕


二階堂ふみさんも大好きな女優さんですが、本物の古関裕而さんの奥様の古関金子さんも可愛らしいです。




古関裕而さんは金子さんとの出会いを「共に音楽で生きていく」となぞらえてロベルトシューマンとクララシューマンに重ねていたようですが、素晴らしい芸術家の奥さんはどこかインスピレーションを与えてくれる不思議な包容力と美しさがあると思います。

それではまた



クララと子供たち

四十代おじさん、生き意地をさらす

2020-05-15 05:22:24 | 日記
30代のころは、
朝っぱらから走るジャージ姿🏃の40代のおじさんを見ると、
仕事はないんか?
そんなに長生きしたいんか?
どんだけ自分だけ可愛いんか?
その労力を世のために役立てたら?
と思って見ていました。


今40半ばになって・・・
がむしゃらに走っています。
1日一万歩は歩いています

生き恥をさらしています

女子プロレス 農業と格闘 コロナなんかに負けない🌺讃えたい女子プロレスラー達の挑戦 「農姫米プロジェクト」

2020-05-06 17:27:47 | 日記

And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country.The 35th President  John F.Kennedy
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コロナに絶望する前に、社会や政府に当たりわめく前に
「まず自分たちが国や地域社会のために何ができるかを考え実践」しています🌺 
すばらしいと思います😊

農姫米プロジェクト



以下、新聞報道抜粋
トランプ大統領が日本時間3月14日に感染拡大に対処する国家非常事態を宣言すると、危機感を覚えて即日センダイガールズプロレスリングのスポンサーを務める仙台市の農機具販売会社「五十嵐商会」に電話し、選手が働ける農家の紹介を依頼。4月、5月の2か月間、宮城県と福島県の計5軒の農家で、花の栽培や野菜を育てるビニールハウス内の草取りなどを担うことが決まった。2018年から五十嵐商会と協力し、東日本大震災の津波で塩害を受けた宮城県沿岸部でコメを作り、「農姫米」の商品名でインターネットなどで通信販売している。代表の里村明衣子さん(40)は「選手は経験もスタミナもあり、今回も農家さんに褒められている」と胸を張る。
先が見えない状況が続くが、里村さんは悲観的ではない。「震災の時は所属選手の半分が辞めた。今は当時の新人がベテランになり、チームの地固めができている。みんなの意識が前向きだ」
 以上、抜粋おわり。

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国は各事業主にお願いして事業を初めてもらったのではないし、感染リスクがあるなら従業員と顧客を守るために、政府や自治体に言われるまでもなく営業を自粛するか、設備投資の在り方を変化させ従業員の安全と雇用を守るべきなのではないでしょうか。

世の中には、このコロナ災禍だからこそ必要とされている職種がある筈
物事は簡単に言うほどいかないとは思いますが、仙台の若い女子プレスラーたちが、持てる力で必死に地域や社会を支えようとしている姿になにかを学ぶことはできないでしょうか?

彼女たちの汗を見倣いたい。未来を絶望する前に、政府や社会を非難する前に、いま自分がもっている力で何ができるのかを考えて頂きたいものです。


あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい  米国35代ケネディ大統領



太宰治に学ぶ「ジャーナリストの醜聞」  ✒️芸能人のジャーナリスト化

2020-05-06 04:27:02 | 日記
  ジャーナリストは、
  人に革命やら破壊やらを
  そそのかして置きながら
  いつも自分はするりと
  そこから逃げて汗などを
  拭いている
  実に奇怪な生き物である
  現代の悪魔である
      
   太宰治著
        「おさん」より




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冷静に考えたいのは、岡村隆史さんの発言で「誰の権利が害されたのか?」ということ

なにがこの報道で一番の問題か?
それは、岡村さんの一言を許せない
  「日本社会の不寛容さ」
だと思います。

ジャーナリストが扇動したビジネスコンプライアンスという「お化け」が独り歩きし、日本社会を苦しめ、今はブーメランのようにメディアを呪縛している。
なんとも浅ましい。

太宰の言う「自分はするりとそこから逃げて汗などを拭いていた」ところにブーメランが飛んできたという構図。

話は岡村発言に戻るが、
ビートたけし、和田アキ子など、本来岡村さんに寛容さを示すべき芸能人の宰相というべき人間が、岡村さんを弁護しない。どころか世の中と一緒になって批判する重鎮もいます😵

彼らは、「大衆迎合」という言葉をもっとも憎み、世の中の矛盾にエンターテイメントというアイテム(武器)を使って真向から立ち向かうべき徒弟集団の親方とも言えます。

この親方衆が、そして相方までも不寛容な現代日本の世論に押されて、恥と外聞を気にして流されていく。
それこそ、「ボーッと生きてんじゃないよ!」とチコちゃんに叱られるのでは😡

こう見てくると、最近のエンターテイメントに昭和時代のような凄みや迫力を感じないのは致し方ないのかもしれません。




🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸

通勤時間は貴重なウォーキングの時間
わざと遠回りして、道端の春の花々が咲くお庭を拝見しながら目を楽しませています。

またウォーキングのときは、NHKラジオ番組の「朗読の時間」で、最近は
  太宰治の女性短編集
  永井荷風の『フランス物語』
  夏目漱石の『三四郎』
を聞いて、こころの洗濯をしています。

夏目漱石「三四郎」から抜粋
「下駄を買おうと思って、下駄屋をのぞきこんだら、白熱ガスの下に、まっ白に塗り立てた娘が、石膏せっこうの化物のようにすわっていたので、急にいやになってやめた。」

これは下駄屋に務める丁稚奉公の少女への階級的蔑視とも、とられかねない一文である。
ビジネスコンプライアンスを言っていたら、あらゆる名作は、およそ世の中に残らなかったでしょう。

なんとも、不寛容で人間の生きづらい世の中になったものか・・・

ブーメランをうけるマスコミはともかく、失われた物は二度と戻ってこないことを真剣に考え、それこそ言葉をチョイスして報道してもらいたい。

ジャーナリズムとは、なにか?
このコロナ災禍で日本人は見直すべき時期にきているのかもしれません。