唱歌『野菊(のぎく)』は、大東亜戦争中の昭和17年に高等女子向けの唱歌として教科書に登載された文部省唱歌です。
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この曲を聴くと、仙台の優しかった叔母さんを思い出しますし、とても「書」が上手で綺麗な眼鏡や清楚な服を着ている近所の叔母さんを思い出します。
今から40年も前の女性たちです。
今ご存命ならば90代後半でしょうけど、仙台の叔母さん、近所の叔母さんともに共通することは、高等女学校出身だったということです。
そして、いつも慎み深く、清楚で柔和、可愛らしく、子供たちに優しい眼差しだったといことです。
今はこういう雰囲気の叔母さん達はあまり見かけなくなってしまいました。
♪ 遠い山から 吹いて来る
小寒い風に ゆれながら
けだかくきよく 匂う花
きれいな野菊 うすむらさきよ
小寒い風に ゆれながら
けだかくきよく 匂う花
きれいな野菊 うすむらさきよ
戦前の高等女子教育は、衣服(裁縫)、食物、看護、養老、育児、家庭管理、家庭衛生、割烹、家庭科学、生理衛生、教育学、音楽などのいわゆる家政学に関する教科が多く「家庭文化の継承」が主眼だったことが分かります。
また完全宿舎制の学校もあり、外来者との接触は一切禁止のほか
「高談を慎み、いやしくも淑女にあるまじき粗暴なる行為をなすべからざるは勿論、教師年長者に対しては従順に、年少者に対しては懇切丁寧なるべし」
と規則にあります。
これは
家庭人として
国土の基礎を築くものは
目覚めた母
でなくてはならぬ
「尚絅女学院七十年史より」
という教育方針のもと、女性は社会人である夫に対する「家庭人としての妻」であり、子に対しては「良識才知をもった母親」である必要を教育されたというものです。
「一億総活躍社会」をスローガンとする現代日本では、男女ともに社会で働かなくては雇用機会の均等が図れないという考えですが、
当時の高等女学校の生徒であれば
「それでは家庭で働く女性は活躍していないということですか?」
「社会人になることのみが、国に貢献するということではないと思います。家庭文化の継承も立派に国の礎になります」
ときっぱり断られるでしょう(後の件は実際の女学生談)。
二番の歌詞
♪ 秋の日ざしを あびてとぶ
とんぼをかろく 休ませて
しずかに咲いた 野辺の花
やさしい野菊 うすむらさきよ
とんぼをかろく 休ませて
しずかに咲いた 野辺の花
やさしい野菊 うすむらさきよ
ここに当時の女性によるホスピタリティとしての役割を見ることができます。
戦時中という非常事態下にあっても、慎ましく生き社会に疲れた人達を休ませるという理想の女性(母性)像が込められています。
三番の歌詞
♪ 霜が降りても まけないで
野原や山に むれて咲き
秋のなごりを おしむ花
あかるい野菊 うすむらさきよ
野原や山に むれて咲き
秋のなごりを おしむ花
あかるい野菊 うすむらさきよ
石森先生の3番の歌詞は、戦後、疑義が生じます。
「むれて咲き」
に軍国主義における全体主義教育の象徴として、毛嫌いする教育者が出たということでしょう。しかし現在でも、そのまま採用されています。
今日は、文部省唱歌「野菊」について
家庭において我が国の礎にならん
と「けだかくきよく、しずかに咲いた」近代女子教育を秋のなごりを惜しむように綴りました。
いつまでも女生徒たちに歌い継いでいって欲しい文部省唱歌です。
また、女子の家庭婦人としての在り方をこのコロナ災禍で今一度見直してみるのも良いかもしれません。
P.S
作曲学生だった時分は、この「野菊」を作曲した下総皖一先生の教科書で対位法を学ばせて頂きました。
下総先生は、ブラームスの修辞法研究の第一人者だけあって、この「野菊」も、とても洗練された美しい旋律です。