ふるきをたずねて 🌸

遊びをせんとや生まれけん 戯れせんとや生まれけん 梁塵秘抄

人生を輝いて素敵に生きる

2023-05-13 21:54:56 | 日記
人生で2度目の入院🏥
前回は8年ほど前、沿岸部の病院に急性胃腸炎で緊急入院して以来の入院。

今回は、発作性心房細動細動、いわゆる不整脈ですが、明らかに心臓の鼓動がおかしいと感じたのは昨年の仕事納めの日、絶対に発生させてはならない局面での仕事のプレッシャー、虫の知らせとはよく言ったもので、結論その日の夕方に発生してはならない事柄が起きる矢先、宿直明けで、処方薬を取りに行った私に、掛かり付けの医師から告げられたのが、前出の病です。

おそらく、精神的には一杯で、心労に次ぐ心労に心臓が悲鳴をあげてもやむを得まい。組織の細胞の一つでしかない、輩が、人員不足を訴えても何も変わることはないが、部下職員に過重な負担をかけていることが、また大いなる心労として跳ね返ってきた。これも、見出し病の原因であることは間違いない。かつて日本陸軍が、人員、物資、補給とも不備な状況で、ジャングルへの進軍を命じ何万人の将兵を餓死、病死させたインパール作戦と同様、現場の惨状を見ずに、あるいは見てみないふりをする、組織の有り様は、先の戦争と、なにも変わっていないのではないだろうか。 

何ら上訴せず、上からの指示を無責任に垂れ流した奴らも同罪であり、未来永劫、奴らを許すことはないであろう。

それはともかく、齢50に近づくにつれて、小さな出来事にも一入の感動を覚えることが多くなった。これは人生の黄昏を迎えつつあるのが要因かもしれない。

例えば、娘の習い事のバスケの影響により、最近やっとBリーグを視聴するようになった。バスケがこんなに興味深く、見ているだけでも愉しいスポーツとは思いもよらなかった。そして、プロであっても、否、プロだからこそ、基本に違わないプレイを魅せる。 ボールを扱う一挙手一投足ガ、永年の努力と血の滲むような努力によって形作られたものであることに思いを馳せるとき、涙が溢れて来るのを抑えきれない。これは、進歩がいまいち見えない、辿々しい娘のテクニックの習得ぶりを見ているからこそなのかもしれないが。。。

ここで入院の話に戻るが、佐藤という三十代後半とも見える、笑顔が柔和な可愛らしい看護師が、小生の右腕に針を刺し、採血するときに、「血管が教科書どおりで分かりやすいですね」と笑顔で語りかけてくれた。このとき、小生は、彼女が数多にわたる看護科目を学び、多くの現場実習や研鑽を重ねた日々に思いをいたし、彼女が輝いて見えたのである。

また、別のオペ室にいた看護師は、手術台に乗ったとき、耳元で「緊張していますか?」と語りかけてくれたり、病棟看護師がオペ室に引き継ぐ際、「眠くなる点滴しますんで、みんな寝て病室に帰りますよ」(実際は痛みに苦しむことになるが、)、など、様々な役割の看護師が、それぞれの立場で小生の不安を取り除こうとして話しかけているのは、神の所業に近いものが感じられた。非常に崇高な仕事である。誰それ容易に真似できる職務ではない.


さはさりとて、輝いて見えるのは、何もバスケ選手や看護師だけではないのではないか?

生きとし生きるものが、与えられた務めに真剣に取り組み、なにごとかを成そうとすれば、その姿は輝いて見える筈である。とくに生命力あふれる若者がそうであれば、尚更、いかにも健気であり、感動を覚えないものはいないであろう。




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