goo blog サービス終了のお知らせ 

ホイッスルバード あいざわぶん

社会のあらゆる事象にホイッスルを吹く

伊予のおきよさん

2022-01-29 18:25:00 | ノンジャンル
街を歩きながら発見した「ちょいといい話」。
もしかしたら松山の皆さんは御存知なのかもしれないが、移住者
の私は初めて知ったので、本日は全国の皆さんにPR。

信号のない小さな交差点にひっそり建っている石碑。
そこには、次のような文章が彫られていた。



  明和の頃(江戸時代・西暦なら1770年前後)の話。
  伊予に「おきよ」という奇特な才女あり。
  街に疫病が流行り、献身介抱して人を選ばず。
  寝食を忘れて尽くし、疫病は漸く治まったが、おきよが
  疫病に倒れ、命を落としてしまった。
  人々は嘆き悲しみ、小祠を造り、その徳を偲んだ。
  それ以来、界隈は「喜与町」と呼ばれるようになった。

私は、その小さな祠を探したが見つからず、きっと碑のある所に
祠は造られたのであろうか、と想像した。

「喜与町」は城山(松山城)の東の麓にある一丁目と二丁目だけ
の小さな街である。
碑のすぐ隣りには大きな「まどんな病院」があって、何やら女性に
優しい街の雰囲気に溢れている。
「喜与」の字は後世に考えられた当て字なのだろうが、おきよさん
の生き方にぴったりの名前になった。
「献身的な介抱は人を選ばなかった」という点がグッと来るね。
身分差が大きくあった時代だからである。

「歩き」じゃなきゃ、おきよさんに触れることはなかったかも・・・。



写生・写実・リアリズムに就いて

2022-01-18 17:10:00 | ノンジャンル
先週放送の「プレバト 俳句ランキング」を楽しく観た。
昨年一年間の優秀14句の作者がスタジオに招かれ、新作で
勝負し、年間チャンピオンを決めるのだ。

その14句には「独立の夜やゴッホの星月夜」も選ばれている。
私が、「誰かに作ってもらったに違いない。もし本人が詠んだ
のなら凄い才能の持ち主」と揶揄したアイドル歌手の句だが、
本当に素晴らしい句だから14句には選ばれているのだ。

でも、裏読みすれば、「この人の次の句も見てみたい。それで
判断したい」という選者・夏井いつき君の下心があったのかも
しれない、と私は想像している。

で、新作の11位から14位になった人の句は発表されないの
だが、アイドル歌手の新作は予想通り14位だった(笑)。
テレビでは発表しないが「TVer」では発表するという。だけど、
そもそも私は「TVer」が解らないので調べるつもりもない。


さて、ここから話の主旨を変えよう。
選者・夏井いつき君と出演者(生徒・弟子)の関係性に就いて
思っていることがある。

出演者(生徒・弟子)の皆さんは勉強不足である。
娯楽番組とはいえども夏井君から学ぶのだから、師がどういう
人なのかをちゃんと知る(学ぶ)べきである。
学べば、どういう作品が優れているのか、どういう作品を目標と
すべきか、が解ろうというもの。
不肖の弟子どもはやりたい放題で、まるでお猿の学校だ。

夏井いつき(64歳)の師は黒田杏子(ももこ)で、現役ばりばり。
黒田杏子の師は山口青邨(せいそん)。
山口青邨の師は高浜虚子(きょし)。
高浜虚子は現・松山生まれで、その師は正岡子規である。
子規に学んで、俳誌「ホトトギス」を継承した人であり、現在も
ホトトギスは日本で一番会員が多い俳句結社である。
そして、何より大切なのは、正岡子規が唱えたのは「写生」。
「写生」は「リアリズム・現実主義」と解して良く、その流れを組む
夏井いつきの作品もリアリズムである。
物事を客観的に写生して、作者の感情を知らしめる・・・のだ。

番組の中で、「リアリズム・写実」等の言葉を殆ど使わない夏井
いつき君。きっと考えがあってのことだと想像する。
俳句の裾野を拡げることを第一とし、「リアリズム・写実」のことは
他の言い方(見たことをそのまま書けばいい・・・等)にしている
点に出演者は気付かなければいけない。

まっ、それぐらい、正岡子規は素晴らしい文学者なのである。
ちなみに吾が短歌の師も「写実・リアリズム」の人である。



胡散臭い医師

2022-01-11 17:44:00 | ノンジャンル
50代夫婦と息子夫婦と孫一人の計5人で、年末から沖縄県の
宮古島に観光旅行したのだそうな。
年が明けて本土に帰宅した翌日に体調を崩し、3日後に家族
全員が新型肺炎ウイルス症を発症したのである。
恐らく宮古島で感染し、オミクロン株なのだろう。
私の想像だが、島内の飲食店で感染したのではなかろうか。
今のところ全員、重症には至ってないのが何よりである。
宮古島は明日から全校休校になるようだから既に悲惨な状況
であり、(早く政府の応援が得られればなぁ)と願うばかりだ。

医師で元厚生労働省・医務技官の木村もりよ君は、「既にイン
フルエンザと同じようなものだから、濃厚接触者を全て隔離す
るのは馬鹿げている。今のままでは医療が逼迫するから感染
を止めてはいけない。そして経済が回らなくなるから岸田首相
はコロナ終息宣言を出すべきだ」と強烈な口調で言っていた。

「時期尚早な提案」が私の結論だが、最も気になるのは「経済
が回らなくなる」の部分である。

京都アニメ関連施設が放火され、大勢の被害者が出た。
大阪の病院も放火され、こちらも大勢の被害者が出た。
どちらの犯人も大火傷を負ったが、死刑判決が出る犯罪だ。
確実に死刑判決が出る極悪非道な犯人を、医師と看護婦は
命を助けるために努力を惜しまない。
心のどこかに、きっと矛盾を抱えながらも、懸命に極悪非道の
命を助けようと努めるのである。

医療とは命を助けるのが責務と心得ているからではないか。

私なんぞは冷たい人間だから、そんな莫迦の命は助けなくて
いい、と簡単に結論づける。犯人よりも早く絶命した被害者の
命の軽さのことばかりが頭にあって腹が立つのである。

「経済について医師が口を挟むな」と、私は言わない。
経済が理由で自死する人も確実に居るのだから・・・ね。
だが、「経済を利用して自論の補強に使う」のは如何なものか。
木村君からは、そんな臭いがプンプンするのである。
だって、まだ死ぬかどうかも判らぬ人たちの心配をし、目の前
で苦しんで死ぬかもしれぬ患者を軽視する発言内容だから。
私には、そうとしか思えないのである。

さて皆さん。重病に罹って難しい手術が必要になったとしよう。
極悪人の命でも懸命に助けようとする医師と、木村もりよ医師
のどちらに執刀をお願いしますか。
その回答は聞くまでもありません。



急ぐな、二十歳

2022-01-10 17:25:00 | ノンジャンル
今年2022年は私にとって色々と区切りの年である。

〇老人の仲間入り(65歳)をした年。
〇歌歴30年経過の年。
〇松山移住10年目の年。
〇持ち家歴10年目の年。

だからこそなのか、45年前の成人の日を思い出す。
思い出して、恥ずかしくなり、深い溜息が出る。

精神年齢が異様に幼くて、二十歳の私は同い年の
友人、恋人を観ていると自分の不甲斐無さばかりを
感じていたのだった。
幾ら学生とは言え、将来の展望がゼロで、どうしたら
22歳から暮らせばいいのか、考えるだけで怖ろしく
なり、なるべく考えないようにした頃である。

そして365日、麻雀・競馬・SEXに溺れ、アウトロウを
気取っていたのだった。
そういう人はそもそも、成人式なんかに行く気はなく、
当日の恋人は美容師だったから仕事で忙しく、私は
麻雀荘で丸一日中ゲームに没頭していた筈である。

「競馬新聞を作る会社で働かないか」と声が掛からな
かったら、私は自暴自棄になって死んでいたかも・・・。
どう考えても、そうとしか思えないので怖ろしくなる。

今日二十歳を迎えた諸君の半分は100歳まで生きる
のだそうで、思えばそれも怖ろしい話である。
だからこそ私が言えるせめての餞(はなむけ)は「焦り
なさんな」ということ。
イヤでも人生は長いのだから、焦るのが一番良くない、
競争心が強過ぎると疲れるぜ、と言いたいのである。

急いだり、競争が過ぎたりして、心まで病むことが無い
ように。それが何より大切である。



沖縄返還50周年

2022-01-06 18:07:00 | ノンジャンル
中学三年時の社会科(政治)の教師は50代半ばであろう
清野太観先生だった。
或る日のこと、教科書とは関係のない話を先生は始めた。

 来年、沖縄が日本に返還される。現在の沖縄は太平洋
 戦争の終わった時から日本であって日本じゃなかった。
 お金はドルだし、車は右を走っている。本土に来るには
 パスポートが必要なんだ。
 それが、やっと、やっと戻って来るんだよ。

それを聞いて教室はざわ付いた。14歳か15歳の私らは
知っているようで知らない沖縄だったから。

翌年、私らが高校一年生の5月15日に太観先生が言った
通りに、沖縄県はアメリカから返還され日本になった。
小笠原諸島が返還された時より私らも大人になってたから、
返還の意味が強く感ぜられたのだった。

その4年後、19歳の私は初めて沖縄を旅した。
あの授業のことを思い出しながら旅をしたのだ。
今年の5月15日で沖縄返還から50年の節目を迎える。
そのめでたい年の初めに沖縄に行きたかったのである。

だからせめて、爆発的感染の嵐が早く収まってくれまいか
と祈るだけである。