丁度30年前の今頃である。
35歳になったばかりの私に短歌誌が郵送されてきた。
封を開けたら歌誌が一冊入っているだけで、私信らしき文は
入っていなかったのが不思議でならなかった。
初めて詠んで投稿した拙作が「山形新聞歌壇」の最下位に
掲載されて赤面し、(なんで最下位なんだろ)と訝しんでいた
頃のことである。
その選者が主催している短歌結社から歌誌は届いたのだ。
(入会して勉強しろってことか)とは思わず、(ほうれ、本当は
才能があるから勧誘なんでしょ)と愚か者は思った。
入会して半年もせぬうちに「俺は凡人」とハッキリ認識した。
1か月に10首詠むのさえ如何に大変か、を思い知るのだ。
だから、それから10年間、それこそ必死で勉強した。
仕事以外の時間は殆ど短歌の勉強に費やした。
(学業も好きな音楽も、あれぐらい必死に勉強してれば・・・)と
今でも思うほどである。
それから13年後、私は48歳で仕事を失った。
自営を試みたが、すぐ失敗に気付き、大金まで失った。
見栄を捨てて、お金を得るため風俗業で生きることにしたが、
そこで生まれる詠嘆を作品化し、投稿することは躊躇われた。
競馬業でさえ良くは思われない糞真面目な会員が多かった
から、私は自ら身を引くことにしたのである。
身を引いてわかったが、心が生きる場を失ったに等しかった。
それでも松山に移住さえすれば、入るべき短歌集団があるに
違いないと思っていた。
だが、それらしき集団は見当たらず、7年も過ぎて漸く今治市
の勉強会(様々な結社の人たちが集う勉強会)を見つけること
になる。
ところが、いざ入会しようと思った途端、新型肺炎ウイルス症
が日本でも蔓延(2年前の2月)してしまったのだ。
当然ながら、月に一度の勉強会(歌会)は開催できなくなった
であろうことは訊ねるまでもない。
そもそも年配者が多いし、歌会とは歌評する場であるからだ。
でも、あれから二年経ち、工夫して歌会もできるようになったに
違いない。
なので17年振りに、私は短歌の世界に戻る。
もう競争心は落ち着いているので、楽しい世界に戻るのだ。
35歳になったばかりの私に短歌誌が郵送されてきた。
封を開けたら歌誌が一冊入っているだけで、私信らしき文は
入っていなかったのが不思議でならなかった。
初めて詠んで投稿した拙作が「山形新聞歌壇」の最下位に
掲載されて赤面し、(なんで最下位なんだろ)と訝しんでいた
頃のことである。
その選者が主催している短歌結社から歌誌は届いたのだ。
(入会して勉強しろってことか)とは思わず、(ほうれ、本当は
才能があるから勧誘なんでしょ)と愚か者は思った。
入会して半年もせぬうちに「俺は凡人」とハッキリ認識した。
1か月に10首詠むのさえ如何に大変か、を思い知るのだ。
だから、それから10年間、それこそ必死で勉強した。
仕事以外の時間は殆ど短歌の勉強に費やした。
(学業も好きな音楽も、あれぐらい必死に勉強してれば・・・)と
今でも思うほどである。
それから13年後、私は48歳で仕事を失った。
自営を試みたが、すぐ失敗に気付き、大金まで失った。
見栄を捨てて、お金を得るため風俗業で生きることにしたが、
そこで生まれる詠嘆を作品化し、投稿することは躊躇われた。
競馬業でさえ良くは思われない糞真面目な会員が多かった
から、私は自ら身を引くことにしたのである。
身を引いてわかったが、心が生きる場を失ったに等しかった。
それでも松山に移住さえすれば、入るべき短歌集団があるに
違いないと思っていた。
だが、それらしき集団は見当たらず、7年も過ぎて漸く今治市
の勉強会(様々な結社の人たちが集う勉強会)を見つけること
になる。
ところが、いざ入会しようと思った途端、新型肺炎ウイルス症
が日本でも蔓延(2年前の2月)してしまったのだ。
当然ながら、月に一度の勉強会(歌会)は開催できなくなった
であろうことは訊ねるまでもない。
そもそも年配者が多いし、歌会とは歌評する場であるからだ。
でも、あれから二年経ち、工夫して歌会もできるようになったに
違いない。
なので17年振りに、私は短歌の世界に戻る。
もう競争心は落ち着いているので、楽しい世界に戻るのだ。