世間の人たちは村会議員をも「センセイ」と呼んで
いるのだろうか。
町会議員に就いては、どうだろう。
大人になってから村や町に住んだことがないので、
その辺のことは知らないままである。
おそらく、市会議員辺りから「センセイ」と呼ばれる
議員が出てくるのだろう。
県会議員にもなると、割合はグンと増すのだろう。
教師と医者はセンセイと呼ぶ。これが世の習わし。
だけど、私はひねくれ者だから、相手を選ぶ。
好感が持てる相手と尊敬できる相手だけセンセイ
と呼び、他はけろりと「〇〇さん」で済ます。
私の勤務先は大病院だから「センセ」だらけ。
叩き売りできるほどセンセが揃っている。
勿論、好感が持てるセンセも居れば、出来損ない
センセも居る。
出来損ない、には女センセも居るのでおもしろい。
出来損ないセンセにも話し掛けなきゃならぬ場合、
「あの~」と話し掛けて「センセィ」とは言わない。
明日、私の歯を抜く女医さんには「アサミセンセィ」
と、わざわざ名前まで付けて呼ぶ。
私を無下(むげ)にしないから信頼を態度で表して
いるのだ。
そういう態度は相手にも伝わるから、人生は楽しい。
素直にセンセイと呼べる人が多いことは素晴らしい。
だから、「出来損ない」をも簡単にセンセイと呼ぶの
には抵抗があるのだ。
私が所属していた短歌結社には7名の選者が居た。
その中の二人を、私は「先生」と呼ばなかった。
一人は、自宅にも私を呼ぶ間柄で、「私は先生では
ないから、名前で・・・」と二度も言われたからである。
もう一人は、出来損ないが選者になっちゃったから。
会員240名の中で、私だけが堂々とその人を先生と
言わないのだから、もう・・・大変なことに(笑)。
センセイと呼ばれる人になれなくても、心からセンセイ
と呼べる相手が多い人生は素晴らしい。
皆さんにも、是非、そうなっていただきたいのである。
いるのだろうか。
町会議員に就いては、どうだろう。
大人になってから村や町に住んだことがないので、
その辺のことは知らないままである。
おそらく、市会議員辺りから「センセイ」と呼ばれる
議員が出てくるのだろう。
県会議員にもなると、割合はグンと増すのだろう。
教師と医者はセンセイと呼ぶ。これが世の習わし。
だけど、私はひねくれ者だから、相手を選ぶ。
好感が持てる相手と尊敬できる相手だけセンセイ
と呼び、他はけろりと「〇〇さん」で済ます。
私の勤務先は大病院だから「センセ」だらけ。
叩き売りできるほどセンセが揃っている。
勿論、好感が持てるセンセも居れば、出来損ない
センセも居る。
出来損ない、には女センセも居るのでおもしろい。
出来損ないセンセにも話し掛けなきゃならぬ場合、
「あの~」と話し掛けて「センセィ」とは言わない。
明日、私の歯を抜く女医さんには「アサミセンセィ」
と、わざわざ名前まで付けて呼ぶ。
私を無下(むげ)にしないから信頼を態度で表して
いるのだ。
そういう態度は相手にも伝わるから、人生は楽しい。
素直にセンセイと呼べる人が多いことは素晴らしい。
だから、「出来損ない」をも簡単にセンセイと呼ぶの
には抵抗があるのだ。
私が所属していた短歌結社には7名の選者が居た。
その中の二人を、私は「先生」と呼ばなかった。
一人は、自宅にも私を呼ぶ間柄で、「私は先生では
ないから、名前で・・・」と二度も言われたからである。
もう一人は、出来損ないが選者になっちゃったから。
会員240名の中で、私だけが堂々とその人を先生と
言わないのだから、もう・・・大変なことに(笑)。
センセイと呼ばれる人になれなくても、心からセンセイ
と呼べる相手が多い人生は素晴らしい。
皆さんにも、是非、そうなっていただきたいのである。