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ホイッスルバード あいざわぶん

社会のあらゆる事象にホイッスルを吹く

小旅島旅独り旅 伊吹島編(番外編)

2016-07-24 16:07:00 | ノンジャンル
昨日の午後6時半にブログアップした時には
全く気付かなかったことがある。
ところが、今朝見て(どひゃー)と驚き、背中が
ゾクッとした。

なんと昨日のブログ訪問者数が533人。
今日だって、午後4時の時点で417人。

533人は勿論過去最高なのだが、(なんでか
なぁ)と呆気に取られている。
理由を考えても解らないので、まっ、いいか。

さて、今回は、小旅島旅独り旅 伊吹島編の
「番外編」。

帰りの船は13時30分に伊吹島を出港する。
伊吹島で食事する為には、数日前から一軒
だけ商っている旅館に予約せねばならない。
そんなことは面倒なので観音寺市内の店で
カレーパンを買っていた。
それを早めに食べて、市内に戻ったら港の
近くのラーメン屋に行こうと決めていたのだ。
ラーメン屋の名前は「中華蕎麦 源平」。
創業61年、いや、62年だっかな。
とにかく頑張っているラーメン屋であることを、
島に渡る前にちゃんと調べていたのである。

港からバイクで3分走れば源平に到着。
どうですか、この立派な店構え。
古いけど、ラーメン御殿みたいだね。



店内に入ると、既に午後2時なのに地元民が
6人もラーメンを啜っている。
(ほほぅ、やっぱりラーメンが人気なんだね)と
思いながら壁の品書きを見たら、中華蕎麦と
稲荷寿司しか書いてない。
(ほほぅ、なるほど。中華蕎麦専門店なんだね)
と理解したところに、店のおばさんが来たので
「中華蕎麦を・・・」と注文した。

これが創業61年か62年の中華蕎麦専門店
「源平」のラーメン、税込500円である。
100点満点で評価すれば65点・・・ですな。
品書きに「大盛」が無いのが残念で、訊いたら
作ってくれたのかもしれぬ。



料金を支払いながら「御馳走さま」と言ったら、
店の三人が一声に「ありがとうございました」と
明るく言ってくれたのが、なんか嬉しかった。
やっぱり75点にしとこう(笑)。

(おっしゃ~!松山に帰ろう)とバイクに跨って、
その約30分後に、交通事故。
あれから8日目の今日だが、左手首がまだ痛い
のよ。

【補足】
最低限必要と思えたバイクの交換修理は昨日
の夕刻に終えて、私が料金を立て替えて今日
から乗っている。
風防は冬だけ装着することにした。
ヘルメットの風除け部分に傷が入ったので、これ
は近々新品を買うことにする。
事故に遭うと、なんやかやとやらなきゃならない
ことが出来て、本当に面倒だ。
皆さん、左後方に居る自転車やバイクには注意
して下さいな。
左折する時は必ず、ちゃんと振り向いて確認を。
被害者が爺婆なら、簡単に死んじゃうかも・・・よ。



小旅島旅独り旅 伊吹島編(その4)

2016-07-23 18:10:00 | ノンジャンル
伊吹島の古い歴史に、「京都から移り住んだ人ら」の
存在がある。
言語学者であり、国語学者の金田一春彦が伊吹島
に旅したのは、この島独特のアクセントを調査する為
だった(昭和58年)。
独特とは、「平安時代から続く京言葉のアクセントが
1300年間遺っている」ということである。

なぬっ、あ~た、金田一春彦を知らんとな。

その父は金田一京助。
文字を持たないアイヌ民族の言葉を研究し、辞書を
遺した言語学者。
歌人・石川啄木の大親友。啄木は死ぬまで金銭を
無心し続けたが、それに応えた日本一のお人好し。
決して探偵ではありません。
金田一京助の長男が春彦である。

伊吹島の方言には、二文字言葉に5通りのアクセント
がある、というのである。
はっ?5通り、なんじゃ、それ!
それで意味が通るなんて、信じられん。

松山市民のアクセントも酷いが、東北人である私のも
負けず劣らず、酷い(笑)。
だからアクセントの事は棚上げすることにし、資料館で
方言だけ書かれた本の一部を写真に撮ることにした。





古い資料館に、ずっと私独り。
時間を忘れて、島の生活と言葉の世界に浸っていた。
今なら船で25分の伊吹島だが、昭和30年代までは
島の小・中学校に赴任した教師は島の言葉が理解
できないことがしばしばだったと云う。
ということは島民は、島以外では大変苦労することに
なる。そして、言葉によって差別を受けることになる。
想像しただけで辛い気分になってしまったのである。

坂を下って港に下りて、違う道をまた上った。
港が見下ろせる場所に春彦の歌碑が建っているのを、
この目で見たかったのだ。

歌碑の周りは草刈りを終えたばかりで、ドラム管の中で
燃やされていた。
その熱気を右頬で感じながら、春彦短歌を声に出して
鑑賞した。

緑濃き豊かな島やかゝる地を故郷に持たば幸せならん 春彦





文語体で詠んでいるのだから「豊かなる島や」とすべき
だが、春彦は歌読みではないからしょうがない。
そんなことより、伊吹の人は類(たぐい)なき言葉を今も
遺していることに誇りを持っているのを、この碑の美しさ
と、真っ白な旗が私に教えてくれている。

歌碑から見える港では、高校生が岸壁からダイブして
夏を楽しんでいる。
その歓声が私の耳にも届いて、もう一度春彦の短歌を
声に出して読んでみたのだった。



小旅島旅独り旅 伊吹島編は次回の「番外編」で最終と
しよう。

小旅島旅独り旅 伊吹島編(その3)

2016-07-22 22:03:00 | ノンジャンル
島に旅して水を気にするようになったのは、
30年ほど前に鹿児島県の屋久島に行って
からである。

屋久島の水は、かつて私が味わった各地
の水とは違って格段に美味しかったのだ。
屋久島は大きな島で、標高の高い山もあり、
雨量も多いから、水が豊富なのは当然では
あるけれど、驚くほど味が違ったのだ。

小さな島にも旅するようになって、(あれっ、
水はどうなってんの)と初めて気にするよう
になったのである。
水がふんだんにあって当たり前の生活だと、
気付くのも遅いんだな。

伊吹島は海岸の殆どが崖で、多くの民家は
高台の上に建っている。
比較的小さな島なので、昔の人は飲料水を
どうしていたのか、とても気になる島である。

すると、島の中央で井戸の跡地を見つけた。
フェンスで囲われた中が井戸だったようだ。
フェンスの隣に碑も建っている。
やはり、水で大変苦労した島なのである。

井戸には名があって「平井の泉」。
ヒライではなく、ヒラヤと読むのだそうな。
江戸時代に井戸職人を呼び寄せて掘らせた
露天堀りの井戸である。
島の資料館で昭和28年以前の井戸の写真
も観られたので、それも紹介したい。







井戸に頼らなくなったのは、船で水を運ぶよう
になってからである。
その後、水道パイプを海底に引き、船で運ぶ
必要もなくなったのである。
日本は「水の国」なのに、水で苦労した歴史を
長く持つ人たちも大勢居たのである。
連絡船待合室のトイレで立ちながら、惜しげも
なく流れる水を見ても、なんとなく自分ちの水
とは価値が違うような気がしたりして・・・。

今回は島独特の方言のことも書こうと予定して
いたが、長くなりそうなので、ここでお仕舞い。


小旅島旅独り旅 伊吹島編(その2)

2016-07-21 20:33:00 | ノンジャンル
伊吹島の最盛期は昭和31年で、奇しくも私の
生まれた年である。
あの小さな島に、しかも坂ばかりの島に4500
人も住んでいたのだから、さぞや窮屈な暮らし
だったことだろう。

島が賑わったのは「いりこ漁」のお陰である。
今では「顆粒だしの基」が主流の感があるけど、
島の人たちは今でもいりこで出汁を取るそうな。

島の周囲は切り立った崖が多く、少しでも開け
ている土地にはいりこ工場が建っている。
その一つを通過しようとしたら、沖から小型船が
工場の船着き場に寄ってくるのが見えた。
急いで引き返し、写真を撮らせて頂いた。

船が着くと、太いホースを船底に差し込む。
獲れたてのカタクチ鰯をホースで吸い取るのだ。



吸い取られた鰯は洗われて次の工程に進む。
洗うと同時に不純物として吐き出された鯔(ボラ)。
60cmはある鯔と、間違えて不純物にされた鰯も
籠の中に見える。大きさは10~11cmぐらいか。
そして透明色の水母もゴボッと大きな音を立てて
籠に落ちてくる。
音が大きいので思わず後ずさりするほどだ。
すると一人の爺かやってきて、工場の女性陣に
に挨拶をし、鰯だけを持って行った。
釣り竿を持っているので、餌にするのだろう。







工場の中で働いているのは殆どが女性で、老い
も若きもカラフルな軽い私服を身に着けている。
邪魔になるのでは・・・と考えて、その後の工程を
観たいとは言えなかったのだが、一番見応えの
ある場面を観られたと思うので満足である。

伊吹島訪問では、いりこの工場見学をすること、
飲料水の歴史を知ること、伊吹島独特の方言に
触れること、島猫に触れること、の四つが目的で、
先ずは一つ目を達成した。

で、いりこと言えば猫、なのだが、これは大きく話
が違って残念だった。
そりゃ猫は何匹も見たけど、話では「港の待合室
に愛想のいいお出迎え猫が居る」となっている。
だけど、そんなの居なかったし、出遭う猫、出遭う
猫が警戒心が強くて触らせてくれないのだった。
だから現在は、「伊吹島は猫の島」と言えないな。

ついでだから、猫といりこ(煮干し)に関して書こう。
猫は魚が大好き。
だから、煮干しも大好き、と想うでしょ。
ところが、ところが、猫は煮干しよりもキャットフード
の方が断然好きなのだ。
煮干しも仕方なく食べるには食べるが、器用に頭
を残すのだ。
どうやら苦いのが嫌いらしい。
野良にゃんこのくせに、生意気な奴が多いのだ。

小旅島旅独り旅・伊吹島編(2)は、これで終了。
次回は「飲料水の歴史」と、「島の方言」に就いて
書くことにする。
番外編も併せてパート4まで書く予定です。

小旅島旅独り旅 伊吹島編(その1)

2016-07-20 19:39:00 | ノンジャンル
観音寺市は香川県の最も西に位置する街である。
その観音寺市の港から更に西へ船で25分の海上
に伊吹島はある。

「ニューいぶき号」は自動車で乗り込めるフェリー
ではない客船で、造りは実にスマートだ。(510円)
自動車を積む場合は船上のクレーンで上げ下げ
する訳で、バイクや自転車は狭いタラップを使って
自分で船上に載せることになる。(バイク・490円)

写真の「ニューいぶき号」が岸壁よりもやけに低く
見えるのは干潮時だからで、岸壁が高すぎる訳で
はない。







島に到着すると、迎えの車(殆ど軽トラ)に乗り込む
人が多い。車でなければ原付バイクに乗る。
伊吹島は坂ばかりの島だからである。
で、ご覧下され。
バイクは誰もがノーヘルメット。
軽トラの荷台には立ち乗りネェチャン。
原付バイクに3人乗りだって珍しくはない。
ほ~んと、島の暮らしは長閑でいいねぇ。







船を下りて振り向くと、港からタンタンタンと音を立て、
カタクチ鰯漁(いりこの材料)に出る漁船が見える。
この出入りが、ひっきりなしに続くのだ。



島に平坦な所は殆どなく、海岸線沿いにはいりこを
作る工場が十数件ほど並んでいる。
廃屋になっている工場も数多く見受けられ、島民が
一番多かった昭和31年当時(4.400人)の賑わい
を私なりに想像してみた。

赤錆を吹いた軽自動車が海岸に置かれている。
「ネプチューン88」と読めるが、私は車に詳しくない
ので、かっこいい外車にしか見えない。



「小旅島旅独り旅」伊吹島編(その1)は、ここまで。
今回は乗り物を中心に書いてみた。