駒込さくらワールド

 駒込の地域情報の発信

13.志木街道けやき並木

2009年05月25日 | 不忍通り物語
 6月の終わりころ、天気の良い日を選んで、一郎は新座市へ出かけた。新座市は埼玉県の最南部に位置する人口15万人程の小都市で、東京のベッドタウンという以外に特に特徴のない町だ。武蔵野の雑木林が残る町というか、今でも、雑木林や畑が住宅や工場や倉庫の間に点在する町といえばいいのだろう。

 東京都に隣接するが、交通の便は悪い。西武線にも東上線にも接していないので、バスを使うしかない。西武池袋線の清瀬駅から、あるいは東上線の志木駅からバスに乗ることになる。本数は多い。いろいろなルートがあるが、志木街道のけやき並木を通るルートが一番本数が多い。5キロメートル以上の長い並木で、両サイドから、けやきの大木が空を覆っているので、暑い盛りでも、ひんやりと涼しく
バスに乗っていても気持ちが良い。

 バス路線のほぼ中間に、市役所がある。そばには平林寺という、武蔵野の雑木林を保存したお寺もある。結構有名だが、子供や俗人には物足りないお寺だ。市役所があっても、特別繁華街らしきものは見当たらない。

 市役所の3ツ手前のバス停で降り、少し歩くと、目指す中里建設の看板が見えて来た。建物はプレハブ2階建てで、周囲に建設機材などが雑然と置いてある。廃材なども山になっており、うらぶれた土建屋さんといった風情だ。プレハブの1階の半分が事務所になっていたので、ドアを開けた。

 「こちらに大川誠一さんという方居られませんか。私は友人ですが。」

 奥の机で何か事務作業をしていた、初老の男が立ち上がって、こちらに近づいてきた。

 「青森の大川さんですか。その人だったら、もうここにはいませんよ。1年くらい前に辞めて、出て行きました。」

 「行き先に何か心当たりはございませんか。」

 「うーん、うちでは分からないけど、バス停近くのスナックで聞けば何か分かるかも知れないね。そこの女とずいぶん仲が良かったという噂だったから。店の名前は白ゆりだったかな。」

 中里建設を後にして、白バラに向かう途中で、一郎の携帯にカオリからメールが入った。内容は、いろいろ考えた結果、レンタカー会社は退職して、東京に行きたいので、賛成して欲しいということだった。返事は後ですることにして、とにかくスナックに入って行った。まだ3時過ぎだったので、誰もいないかと心配だったが、中年の女性が洗い物をしていた。

 「突然で恐縮ですが、人探しをしていますので、ご協力いただけないでしょうか。」

 一郎の話を聞いた、スナックの女性は、言うか言うまいか、少し迷った表情をみせながらも、訥々と話し始めた。

 「ここに働いていたトシエさんという女性と仲良くなって、1年くらい前に二人してどこかへ行ってしまったんですよ。大川さんもいい人だったので、どこかで幸せになっていてくれればいいなと思っているんですけど。行き先は見当が付かないけど、トシエさんの実家の住所だったら分かるわよ。」

 女性から渡されたチラシの裏には、豊島区巣鴨4丁目3-4とメモされていた。メモを見ながら、一郎は自宅の駒込に近いことに妙な気持ちになった。

 「写真でもあったら1枚頂けませんか。」
 「いいわよ、スナップ写真なら何枚も撮ってあるから。」

 帰りのバスを待つ間に、一郎はカオリにメールの返信をした。スナックの女と行方知れずになったことは触れずに、誠一の行方は依然として不明であると伝えた。そして、東京に来ることについては、賛成だし、自分の責任でもあるので、全面的に協力すると伝えた。一緒に住もうと伝えた。


12.早稲田通り

2009年05月14日 | 不忍通り物語
 カオリから聞いた、夫、大川誠一の最後の居住地は、東京だった。新宿区高田馬場4丁目3番15号中里ビルとなっていた。

 山手線高田馬場駅から、早稲田通りを、中野方面に500m程緩やかな坂道を進んだ、左側の街区だ。休日を利用して、早速、一郎は行動を開始した。一郎の住む駒込駅からは10分程だから、容易いことだった。高田馬場駅周辺は早稲田大学や東京富士大学を始め、多数の専門学校が所在しているので、駅周辺は若い人が多い。平日の昼間の時間帯に限れば、池袋や新宿を凌駕する位の、若者の洪水だ。専門学校の校数では高田馬場は日本一らしい。早稲田通りにはこれらの若者を狙った、チェーン店の飲食店や個性的なラーメン店が密集している。途中の右側にスーパーの西友があるのが、唯一の普通の街らしいところだ。子供やお年寄りには快適な街ではなさそうだ。

 西友の反対側の、すなわち早稲田通りの左側の郵便局の手前の路地に入ると、そこが4丁目だった。八百屋や魚屋が点在する下町風の準商業地域といった風情の街区だ。元々この地域は新宿区戸塚町といわれた台地で、その名残は、明治通り沿いにある、警視庁の戸塚警察署の名称に残っている。戸塚という地名は現在の新宿には何処にもない。新宿には淀橋警察という警察署もあるが、やはり淀橋という地名もなくなった。元々はあったのだ。古い由緒ある地名をなぜ簡単に無くしてしまうのだろう。それに対して、警察という組織は意外に古いものに拘っているようで、妙に頑固なところが面白い。
 
 塀に掲示された住居表示のステッカーを見ながら、目的地の中里ビルを探して歩いたが、中里ビルは無かった。該当する番地には、新しくビルが建設中で、名称も別だった。出入りする工事関係者に聞いて見たが、要領を得なかった。
 
 近所の米屋、酒屋、八百屋さんなどから聞いた話では、中里ビルは中里建設という建設会社の事務所兼寮になっていたが、2年前くらいに、オーナーが土地を売り、埼玉の方に引っ越して行ったということであった。新座市というところまで分かったので、後で電話局の電話帳で調べたら、詳しい住所が判明した。

11.青荷温泉

2009年05月07日 | 不忍通り物語
 弘前から黒石鉄道で30分くらい乗ると、終点の黒石駅に着く。黒石駅前で一郎は、カオリの車に同乗して、ランプの一軒宿で有名な秘湯、青荷温泉に向かった。5月下旬ともなると、日が延びて、6時近くても、まだ夕日が眩しかった。運転するカオリの右顔を紅くした。
 
 田舎なので、知っている人が対向車に乗っていることもあるので、一郎は後部座席で運転するカオリの仕草を静かに見つめていた。この時期の対向車は観光客が多い。

 国道から青荷温泉に向かう林道に入ると、対向車はまったく来ない。この林道は最近まで終点が青荷温泉だったが、二庄内ダムの工事の関係で、林道が延長され、ダムの工事用地内まで行けるようになった。

 ダム工事用地内の500mほど手前を右に曲がって、急坂を下ると、浅瀬石川の支流の青荷川の右岸に一軒宿の青荷温泉が見えてくる。木造だが、かなり大きい建物だ。

 この温泉は、照明がランプというだけではなく、電気そのものがないので、テレビも見れない。部屋に案内されたころは、まだ部屋が少し明るかったが、ランプの光を二人して、珍しそうに眺めているうちに、ふと気が付くと、外は真っ暗となり、頼りないランプの光だけが、命綱のように、部屋の空間を辛うじて、守っていた。声も立てずに、二人は激しく抱き合った。八甲田山の雪解け水を集めて流れる青荷川のやや荒々しい流れの音が、二人を一層大胆にさせた。

 食事は広間で取ることになる。百人くらいが同時に食べられる位の広さで、今日も
それくらいの宿泊客だった。若い人が多い。子供連れはさすがに少ない。ゲームコーナーもないし、子供は退屈するだけだろう。ランプだけなので、料理がよく見えない。山菜のてんぷらとか川魚料理だった。少し離れると、顔の判別が付かない。

 「ところで、ご主人からはその後何か連絡はありましたか。」
 「いいえ特に。」
 「私に、ちょっとした考えがありますが、聞いてくれますか。」

 一郎には、前々から、カオリの、東京方面に出稼ぎに行ったきり行方不明となったご主人について一つの計画を立てていた。それは、一郎がご主人を探して、実情を確認して、カオリ夫婦の関係を清算することだった。そして、その後にカオリと一郎が結婚するという筋書きだったが、今日は、ご主人の所在を探すというところまで話した。

 カオリは快諾してくれた。我慢強い東北女性といっても、限度があると内心考えていたところだったので、一郎の提案に任せることにした。気持ちはほぼ完全に一郎に傾いていた。一郎は、ご主人の最後の連絡先や人物についてのデーターを早速手帳にメモした。写真は後日郵送してもらうことにした。