弘前駅から、最初の信号を右に曲がって、100m程進むと、右手に弘前プリンスホテルがある。プリンスホテルと言っても、東京の西武系のプリンスホテルグループとは何の関係も無い。地元資本の普通のホテルだ。ビジネスホテルより少しグレードが高いクラスか。規模も弘前ではかなり大きい方だ。
一郎は、二庄内ダムへ来た時は、ほとんどここに泊まった。出張の多い仕事をしていると、泊まる宿は大体決まってくる。そこが一番いいと言うわけではなく、偶然泊まって、特に問題なければ、また同じ宿に泊まりたくなる。これは人間の習性か。始めてのホテルや旅館は落ち着けない。緊急やむを得ない場合は、どこでも泊まるが、予約するだけの時間に余裕がある場合は、なじみのホテルに電話をしてしまう。
現場に泊めて貰う場合もある。二庄内ダムにも一度泊まったことがある。現場の食事は美味しいし、職員や作業員の皆さんと懇親を深めることができるので、声がかかれば、喜んで泊めてもらう。このような場合、現場の人は何も言わないが、2~3千円位の現金を、翌朝事務担当者に食事代として渡すのがマナーだ。受け取りを拒まれたら、素直にお礼を述べて、引っ込めればよい。
保安教育で現場に来た時は、お客さん扱いになるので、このような場合は、逆に
ビール券などを、お礼としていただくことがある。大体10枚だ。現場で泊まった場合の欠点は、朝寝坊は出来ないことだ。現場の職員は朝が早い。6時には起きている。夜も遅くまで事務作業をしている。トンネル現場では昼夜稼動しているので、深夜でもデータと整理したりしている。猛烈に働く集団なのだ。
一郎は、弘前プリンスホテルの道路を挟んだ向かい側にある、さくら亭という小ざっぱりした日本料理店で、カオリと何度か食事をしたことがある。
カオリの夫は、横浜に長期出稼ぎに行っている。子供のいないカオリは、夜はかなり自由だ。両親と同居していたが、仕事の帰りに、食事する位だから、特に問題はない。ただ車で通っているので、お酒は飲めない。食事しながら、あれやこれやと話が広がるのだった。
カオリの夫はもう5年位前から、弘前には戻っていないようだった。東北では、仕事はあっても、給料が安いので、家族を残して、首都圏などへ出稼ぎにいってい
る男は多いが、盆、正月、五月連休は自宅に帰るのが普通だ。冬場だけ出稼ぎに行って、春から秋までは農作業を行う主も多い。しかし出稼ぎが長くなると、色々な事情から、帰らなくなる男が出てくる。多くの場合は、その影に女が見え隠れするが、経済的な事情もある。いずれにしても東北の人々の生活、人生は今も厳しさに晒されている。これは、北海道や四国、九州、北陸なども同じかもしれない。
一郎は、二庄内ダムへ来た時は、ほとんどここに泊まった。出張の多い仕事をしていると、泊まる宿は大体決まってくる。そこが一番いいと言うわけではなく、偶然泊まって、特に問題なければ、また同じ宿に泊まりたくなる。これは人間の習性か。始めてのホテルや旅館は落ち着けない。緊急やむを得ない場合は、どこでも泊まるが、予約するだけの時間に余裕がある場合は、なじみのホテルに電話をしてしまう。
現場に泊めて貰う場合もある。二庄内ダムにも一度泊まったことがある。現場の食事は美味しいし、職員や作業員の皆さんと懇親を深めることができるので、声がかかれば、喜んで泊めてもらう。このような場合、現場の人は何も言わないが、2~3千円位の現金を、翌朝事務担当者に食事代として渡すのがマナーだ。受け取りを拒まれたら、素直にお礼を述べて、引っ込めればよい。
保安教育で現場に来た時は、お客さん扱いになるので、このような場合は、逆に
ビール券などを、お礼としていただくことがある。大体10枚だ。現場で泊まった場合の欠点は、朝寝坊は出来ないことだ。現場の職員は朝が早い。6時には起きている。夜も遅くまで事務作業をしている。トンネル現場では昼夜稼動しているので、深夜でもデータと整理したりしている。猛烈に働く集団なのだ。
一郎は、弘前プリンスホテルの道路を挟んだ向かい側にある、さくら亭という小ざっぱりした日本料理店で、カオリと何度か食事をしたことがある。
カオリの夫は、横浜に長期出稼ぎに行っている。子供のいないカオリは、夜はかなり自由だ。両親と同居していたが、仕事の帰りに、食事する位だから、特に問題はない。ただ車で通っているので、お酒は飲めない。食事しながら、あれやこれやと話が広がるのだった。
カオリの夫はもう5年位前から、弘前には戻っていないようだった。東北では、仕事はあっても、給料が安いので、家族を残して、首都圏などへ出稼ぎにいってい
る男は多いが、盆、正月、五月連休は自宅に帰るのが普通だ。冬場だけ出稼ぎに行って、春から秋までは農作業を行う主も多い。しかし出稼ぎが長くなると、色々な事情から、帰らなくなる男が出てくる。多くの場合は、その影に女が見え隠れするが、経済的な事情もある。いずれにしても東北の人々の生活、人生は今も厳しさに晒されている。これは、北海道や四国、九州、北陸なども同じかもしれない。