筆者は「犯罪ウオッチャー」を自称して当ブログで記事を書いております。今日は一般論として筆者が常日頃 心がけている事項に関して「那須2遺体事件」を例にして記事を書いてみたいと思います。
テレビ番組の話で恐縮でありますが・・・金曜日のテレ朝の番組で大下さんという女性メインキャスターが司会をするバラエティ番組でゲストコメンテーターとして出演されている脳科学者の中野信子さんがよく口にされることでありますが・・・人間が行動を選択し決定づける過程には「快」を求めるか「不快」を回避するかに大別される場合が多い・・・というものがあります。筆者が中野さんの存在を知ったのはここ10年程前からであり 筆者が初めてこの「快・不快」論を知ったのは確か1980年代であったと記憶しています。本屋で立ち読みをしていて心理学の雑誌か何かで知りました。非常に亜ショッキングな話であった記憶があります。
そういう論理でウオッチングをやっておりますと・・・敢えて刑事責任を追及されかねない複雑な犯罪も その行動原理が整理されやすいことに気が付きました。例えば・・・宝島さん夫妻が殺害されて那須の河川敷で焼損遺体となって発見され殺害から遺棄・損壊に至る犯罪行為に手を染めた6人の男たち・・・宝島さんの娘の内縁の音緒にすれば 宝島さん夫妻がこの世にいなくなれば自分の不快な気分が回避できたのでしょうし あるいは何らかの金銭的な利益という「快」が手に入ることがあるのかもしれません・命令を受けて平山容疑者に殺人などを持ちかけた佐々木容疑者は関根容疑者が次の事業継承者になれば自分の有利な地位が得られるかも・・との「快」が予測されたのかもしれません。注文を受けて殺害などに手配をした平山容疑者は多額の金銭が手にはいるという「快」が約束されたのでしょう。実行役の20歳コンビは250万円というお金がもらえる「快」があったのでしょう。犯罪を手伝ったとされる不動産屋は この要請を手伝えば今後有利なビジネスが展開できる・・との「快」を提示されたのかもしれません。
このように見ていくと話がすっきり見えてくることも確かであります。犯罪が露見すれば刑事責任という厳しいペナルティが課されるかもしれないという恐怖に満ちたリスクも「快と不快」の論理の元では それを凌駕する行動の選択が行われたのでしょう。人間って それほどポチやタマと差がある存在でもないということなのかもしれません。