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AUTOBIANCHI A112 ABARTH
SUZUKI kei のことなど

92の思い出#4『2号機2年目~4年目+1ヶ月』

2007-03-31 01:27:46 | AE92
2004年春、ショップが店を閉めてしまった。
走りに行く機会も少なくなった。
なんだか仕事も忙しい状態が多かった。

2号機では2005年の夏に一度だけダートに行った。
人の現役競技車に乗せてもらい、今さらながら自分の92のバランスの中途半端さに気付いた。
その後念願のリアスタビを交換。
古くて、あくまで練習のつもりの車だったけど、このときやっといいバランスの取れた状態になったと感じた。
そしたらなんだか気が済んだ。

よくある家庭の事情で車を換えようかと思っていたら、
友人の友人が買ってくれるとのこと。
2006年春、このときは潔くサヨナラした。

2007年1月
92の車検が切れるのを機に、友人の友人オーナーが車を買い換えて92が廃車間近とのこと。
名義を変えてないままだったので処分を任されることになった。
1ヶ月ちょっとだけ預からせてもらった。
懐かしくて、何度も一人でドライブに行った。
1年前はあんなにさっぱりお別れしたのに、
手放すのがとても惜しくなった。
トヨタ車でエアコンが効いて不自由がないから、なんとなく乗っていた車では決してない。
エンジンマウントがリジッドの車に、なんとなく乗り続けられるわけない。
でも、何かを得るときには、何かを失うってことで。
何もかも得続けるわけにはいかないわけで。
その得る物をちょっと忘れそうになってしまいそうだった。
92に限らないけど、またこの手の車で、普段も使えてドライブも出来て、いろんな所に走りに行ける車に乗ってみたい気持ちは、ず~っとある。





おしまい。

92の思い出#3『そして2号機』

2007-03-31 01:25:49 | AE92
2003年の秋頃、また偶然にも横浜に引き取りに行った。
ネットの某クラブの個人売買BBSで、2万円という破格値。
おいしいことにロールバーが入っていた。
1号機と同じく後期NA、色も同じく白。
ちょうど友人と東京に行く用事があり、行きは新幹線で、その帰りに横浜に寄った。
夕方、時間をもてあまして、男2人で横浜の山下公園でボ~っと海を見ていた。
2号機の最初の状態は、峠の走り屋小僧の香りがプ~ンと漂うシャコタン。
それでもオートエアコンに感動した。
ボディの左の後ろに小さい三角の穴が空いていて、前オーナーはそれを気にして安く売りに出していた。
こっちはそんなこと全くもって気にしないので、心の中ではすごくラッキーだった。

すぐに後日、潰れた1号機をショップに持ち込むことにした。
ダートから帰ってから何もしてなかったので、持ち込む前に近所のコイン洗車でざーーっと洗った。
目撃した人は、なぜスクラップを洗うのか??と思ったに違いない。
移動はもちろん自走で。

その後、仕事がちょっと落ち着いた頃にいわゆる「箱替え」を始めるも、季節は冬に。
しかも作業は夜間。
凍える寒さの中、ショップの工場の軒先を借りて星空の下コツコツとパーツを移植した。
雪が降る頃には秘密練習に行かなければならない。
エンジンとミッションは合体したまま1号機から移植。
エンジンは1号機の方がトルクがあってアタリっぽかった。
ミッションにはLSDが入っていたのでそのまま行こうということになった。
2号機に積む作業だけはお願いした。
意外にもうれしいことにエアコンが残った。
悲しいことにエンジンマウントの用意が間に合わず、引き続き鉄のままだった。

晴れて2号機は完成。
冬には秘密練習にも幾度となく行った。
無理なく乗れるようになっていたと思う。
一度だけ左フロントをあてて、1号機からロアアームを移植したぐらい。

92の思い出#2『1号機運命の2年目』

2007-03-31 01:24:38 | AE92
2003年の春先に、ビアンキのUUDのイベントが伊那であった。
僭越ながら当日走行1回目のペースカーをすることになっった。
この顔で、これがペースカーですっていうのはなあ、と思うほのどの顔になっていた。
市内に、同じ白い92の部品取り車があるという情報を得て、バンパーやらフロントフェンダーやらライトやら剥ぎ取りに行った。
いつものショップで、どうせフェンダー外すならということで、フロントフェンダー内やらエンジンベイやら下回りやらのスポット増しをやってもらった。
このときに、エンジンマウントが終わってるのが分かって、時間も無かったのでその場で鉄マウントを作って入れた。
ついでに、軽量化の名目でエアコンを外した。
スポット増しの効果はバッチリで、フロントの剛性感がまるで車が変わったかのような印象。
どこを走ってみても安心感が全然違う。
エンジンマウントの効果もバッチリで、エンジンの振動がハンドルといわず
シートといわず、車全体に伝わって乗り心地は最悪。
でもアクセルに対する車の動きはとてもリニアになっていた。

この状態でとても満足していた。
ショップの人からは、「あとはリアのスタビを変えた方がいいよ。」
と言われたけど、その時点の自分の腕では特に不満もなかったのでそのままにしていた。
フロントはカッチリ、リアはボディもスタビもノーマルなのでよく粘る。
今思うと、あとちょっとのところで車のバランスが取れていなかった。
鈴鹿でビアンキをクラッシュさせたときも、バランスがちょっとだけ揃っていないときだった、と思う。
その状態で相変わらず走りに行っていた。

そして運命の6月。
池ノ平で横転。
コース内で最高速の出るストレートから高速左コーナー。
この日このコーナーの途中、穴があいていてずっと気を付けていた。
スライド中にたまたまのラインで、この穴にフロントタイヤが入った。
車の動きが一瞬で変わりあっという間にイン側の土手を駆け上がり、
横になって駆け下りて逆さまになってコースに戻った。



呆然。



身体は無傷。
せっかく治したフロントと、屋根が潰れていた。
それでも普通に走ることは出来たので、バリバリに割れたフロントガラスにテープを貼りまくって、呆然としながら自走して帰った。
折しも、子供が生まれる直前で、嫁さんは早産の心配があって入院している時だった。(爆)
当然、しばらくは黙っていた。


92の思い出#1『1号機』

2007-03-31 01:23:15 | AE92
2002年の秋頃、ヤフオクで見つけた。
特に92でなくても良かったのだけど、競技車落ちを探していて見つかったのがこれだった。
程度の割に値段も安くて、横浜に取りに行った。
行きの交通費をケチるために深夜バスで。
関東の地区戦ラリーに出ていたという車。
最初はブルーのカッティングやスポンサーステッカーが賑やかに貼られていた。
すっごく明るい補助灯まで付いていた。
(すぐ割っちゃったけど。)

いつものショップで見てもらうと、程度はすごくいい。
でもアシがよろしくない。
TRDのバネを新調して、中古で見つけたカヤバのラリー用ショックと組んだ。
練習用に古いダート用タイヤを買ってチューブと組んだ。
後々に分かったのだけど、ダートタイヤにもドライ用とウェット用があって、このときのタイヤはウェット用、ドライではグリップが甘かったらしい。
でも知らなかったから気にしてなかった。
それからはもうサルのようにダートと、たまにサーキットに行っていた。
冬にはさらにサルのように秘密練習。
夜な夜な、スタッドレスに秘密の加工をしていた。
LSDってこういうことか~っていうのを学習した。
調子に乗って側溝に落ちて雪の中不安な一晩を過ごしたりもした。
一冬終わる頃には顔が・・、顔が・・・。