鈴鹿サーキット、フルコースの走行会に参加した。
鈴鹿を走るのは実に12年ぶり。
鈴鹿は僕にとって特別な場所。
12年前、鈴鹿の神様はとても手厳しかった。
2001年春、鈴鹿サーキットのチャレンジクラブに入会して何度も練習に通った。
その年の10月、130Rで大クラッシュ。
1台目のビアンキは廃車になった。
2002年、某ショップに2台目の作製を依頼。
この頃からEG4シビック、AE92レビンなどでサーキットやダートに練習に行き、ドライビングの基礎から身体で覚えていった。
AE92レビンはダートで練習中、まさかの転倒で2台乗り継いだりした。
2004年、2台目ビアンキの作製半ばに某ショップは閉鎖。
自力で地道なレストア作業の始まり。
2006年、関西の某氏に製作の続きを依頼。
2007年、暫定的に2台目が完成。
当初、車検は取らないつもりだったので公道では一切乗れず。
この年の12月に一度だけYZに練習に行った。
そして恐らくこのときに早くもエンジンブロー。
2009年、フィアットフェスタにブローしたエンジンのまま参加。
当然結果はふるわず。
2010年、112の日に仮ナンバーで参加。
中央道であらためてエンジンの非力さを痛感した。
2011年、水色のジュニアを手に入れた。
公道を走れるビアンキとして約1年だけ乗っていた。
そして2013年4月、ついに2台目がエンジンを載せ替えてナンバーを取得し公道復帰。
でも2年半動かしていなかったツケは大きく、各部に不具合。
5月、YZでのラテンフェスタに参加したけどトラブルでまともに走れず。
なんとか幾多のトラブルを克服。
そうしてやっとまた鈴鹿に帰ってくることができました。
いままで支えてくれた皆様、本当に感謝です。
やっと一つの終わりが始まり、
始まりが終わったのを実感できました。
やっとスタートライン、先日のYZと今日でまた課題が見えてきた。
とりあえずはブレーキを、そして行く行くは脚周りをなんとかしなければ。