車えび料理専門 うすい山荘

昭和48年創業以来、県内外からのリピーターも多く
ご満足して頂ける事と思います。
TEL083-984-2426

うすい山荘の歴史、臼井(うすい)家の歴史を紐解いてみます。

2021-03-25 21:17:45 | 食事処、天然車えび料理専門、うすい山荘、創業50年。


うすい山荘は、
昼のみの営業として 夜はお休みさせていただきます。
11時から14時迄の営業とし、
お客様、3組~4組までとさせていただきます。
お客様1組、おひとりさま~4名さまとさせて頂きます。
組数に達した場合は、昼の時間14時前でも営業を終了させていただきます。

うすい山荘の歴史
臼井(うすい)家の歴史を紐解いてみます。

臼井常安又は常康(臼井家初代)桓武天皇第11代の後裔
臼井の名は常安の代に現在の千葉県印旛沼の近くの臼井庄を領したところから始まった。臼井の地名は現在も残っており、常安は1114年(永久2年)にここに居を構えたという。

 上総一族。千葉一族有数の大族。千葉介常胤の叔父にあたる常康が印旛郡臼井庄(佐倉市臼井)に移住して臼井と称した。

 臼井氏は他に志津城(佐倉市上志津字御屋敷)・岩戸城(印西市岩戸字高田山)・師戸城(印西市師戸)といった支城があり、一族や重臣に守らせていた。また、葛西氏に養子に入ったとされる葛西清時(千葉介頼胤の子)に従って臼井常俊(三郎左衛門)が奥州に赴いたとされるが、葛西清時は実在の人物であるかどうか不明であるほか、ともに赴いたとされる「亀卦川」氏は千葉氏の一族ではなく、葛西庄木毛川の豪族であったと思われるため、葛西氏に従ったという臼井氏がいたのかは不明。

 下総国臼井郷の臼井氏はその後、上総権介広常に連座して臼井郷を没収され、千葉介常胤が下総国を実質的に支配した際にふたたび臼井一族に与えられたか?

 鎌倉末期から南北朝期の争乱では、足利尊氏に一貫して荷担した臼井興胤がふたたび臼井郷を中心とした勢力を築き、戦国時代末期まで代々続いた。

1623年、山口県山口市秋穂に医業を開く、(1623年前より医者でした)
山口県で始めの医師の家系である。
初代から10代目まで秋穂で医者であった。

11代目、天然車えび料理専門、うすい山荘を、昭和48年に開く。
12代目、うすい山荘 2代目、臼井博隆 現在に至る。

天然車えび料理専門、
うすい山荘、臼井博隆
電話 083-984-2426