萌黄の鳥

短歌を通しての交流

真夏に映える花

2011-07-22 11:58:27 | Weblog

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NHK番組「猫のしっぽ・カエルの手」でおなじみの
ベニシヤさんの庭に刺激されて最近また庭作りに精を出している。
子育てが終わったころ花作りに熱中しすぎて疲れたのを反省し、今は宿根草
や自生してきたのものが中心だ。
畑にはトマト・きゅうり・豆・苦瓜・ナス・ピーマン・サトイモ・ミョウガ。
果樹類は葡萄・ブルーベリー・アケビ等々。柿・イチジクは大きくなりすぎて
あえなく伐採。いろんな植物がところせましと競いあっている。


2 やまほろし。背丈が3mくらいに育っている。以前は玄関の石の階段から
  屋根に届くほどアート気分でいっぱい茂らせていたけど、他の木を枯ら
  してしまうので切った。美しい小花なのに繁殖力が旺盛。
  1の蔓に繋がっている。

    やまほろし <花ことば...微笑み・さみしがりや・真実>

3 紫のほてい葵を植えたつもりが濃い ピンクの睡蓮が今朝咲きもうびっくり。
  ベニシヤさんのまねをして廃物利用の土鍋に植えていたらあまりに品がないと
  近所の方が火鉢を提供してくれた。

    睡蓮 <花ことば...純潔・清純な心・信仰>


4 鬼百合、、派手な花だけど夏のま盛りに見るときりりと涼しく見えるから
  不思議。勝手に生えて世話いらずの花。カサブランカの白は
  いつのまにか消えてしまったけどこの花は健在だ。

     鬼ゆり <花ことば...愉快・純潔・富と誇り>
        

5 瑠璃アザミ この花の出処どうもはっきりしない。気にいって
  いるのに誰からもらってのかわからないなんて、、。
  花言葉は瑠璃アザミではなかったのでアザミで検索。
 
     アザミ <花ことば...権威・厳格・人間嫌い・批評家>

1・6に小さく映っているピンクとオレンジの花はランタナ。 
   砂漠のギャングの異名をもつだけあって小花で可愛いけれどこれまた
   繫殖力の強い花。

  ランタナ <花ことば...協力・厳格・心変わり・確かな計画性>

   
以上いづれも世話いらず、ずぼらなアリサお気に入り夏の花々です。


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生まざるも選択肢なれこの夏を水生植物のようなカップル

 苦瓜の裏側ばかり見る窓辺この夏すべて受け身となりぬ

  カサブランカの白の存在消し去りて夏の花壇を制す鬼百合

  やまおろち・やまほこ・やまほろし紫小花に行き着くまでの数分

 砂漠のギャングの異名もつランタナ地下深く白根蔓延らせ

  週末はバラの手入れにあけくれぬ人間好きの人間嫌い




         アリサ・ささきのりこ




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冷泉布美子さんの死去

2011-07-13 13:53:12 | Weblog



冷泉布美子さんの訃報のニュースが流れた。

それで思い出した。平成12年、京都で水甕全国大会開かれたおり
「冷泉家の歴史と行事」をそのお嬢様である冷泉貴実子さんに講演戴いた。
当日の貴美子氏のいでたちはくすんだ色合いの地味なワンピース姿。
大会関係者はほとんど気付かない様子、私はあわてて「あの方が冷泉さまと違い
ますか」と 申し上げたことを覚えている。
しかし講演に入るとぐいぐい話に引き込まれた。
↓以下冷泉貴実子氏の講演から、、。

冷泉家は藤原俊成・定家と勅撰和歌集の選にも加わった和歌の名門。
藤原俊成→定家→為家→為氏とすんなり家督がつづくと思いきや 為家は年若い
側室の子、為相可愛さに多くの財産の譲り状なるもの書いてしまう。為家の死後、
譲り状をもって未亡人の阿仏尼が鎌倉幕府に直訴。この間の道中記録が
『十六夜日記』 ということだ。
この二人の息子にもう一人の兄弟、為教も加わって三つ巴の家督あらそい。
これが二条家、京極家、冷泉家。他の二つの家は力もあり政治的にも動いて
それが仇となり南北朝時代に 両家とも滅んでしまう。
これにくらべて冷泉家は年若い弟、為相は親の財産の多くを譲り受けたものの
政治的力をもたず、ひたすら 藤原俊成・定家の残したものを守りつづていたの
である。定家の明月記にある「紅旗征戒吾が事に非ず」の家訓を忠実に
守って政治には手を出さなかった。これが冷泉家の資料が分散しなかった一番の
理由と思われる。
明治になっても(有力貴族ではないし)天皇について東京へは移らず留守居役と
して京都に残る。2万点もの貴重な資料が失われずすんだのである。

又俊成・定家以後は天才なる人物が冷泉家に出なかったからだと氏は笑う。
氏の言によると天才はそれまでのことがらを全否定し、そこからを始まりにして
しまうからだと、、。冷泉家の「御文書」のある蔵には 代々の当主しか絶対
入ることが許されない、そうして守ってきたのだ。ただし当主は一流でもいけ
ないし、かと言って二流では財産を守れない切れない。一流半がちょうど良いと
笑わせてくれた。伝統を守るものの心得として含蓄ある言葉だ。

戦後しばらくしてようやくこれら日本の文化財がみなおされた。
国・財団をうごかし公開にまでこぎつけた冷泉布美子氏の功績は大きい。
戦後冷泉家は困窮していて母屋は雨漏りがひどく、貴実子さんの知人の
話では相当困っておられる様子だったとか、、。

蔵だけは文化財だけは守るという強い意志を果たされた冷泉布美子さまは
今やすらかに旅立たれたことだろう。
ご冥福をお祈りする。

         
             ありさ・ ささきのりこ         


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画家と女と猫

2011-07-06 20:47:49 | Weblog

        我が家で飼っていた雄猫

「女はまったく猫と同じである。可愛がればおとなしくしているが
そうでなければ引っかいたりする。ごめんなさい、女に髭を書けば
猫になる。」藤田を演じた竹中直人のちゃめっけたっぷりのセリフでNHKの
番組が始まった。(11´6.27「おまえなしでは生きてはいけない」
~猫を愛した芸術家の物語~「第一回藤田嗣治」より)

藤田嗣治は1913年26才 最初の妻を日本に置いて3年の約束で単身フランス
に渡るもかなわず、やがて仕送りを断たれる。困窮の藤田を画家として世に出るの
助けたのは女と猫。
センセーションを巻き起こした乳白色の世界「横たわる裸婦と猫」にも
猫が描かれている。モデルが来ない時、猫が格好のモデルとなったらしい。
藤田は猫の動きを一瞬で捉えすばやいタッチで描くのを得意としている。
何匹もの猫の動きがじつに巧みに描かれていて見ていて退屈しない。

犬と猫を飼ったことがあるが本当に猫の気持ちはよくわからない、、。
甘えん坊で自分勝手で時には凶暴。動物病院に我が家の猫の
引っかき傷が壁にくっきり残っている。
藤田も五人の女と結婚したが最後の妻は日本人、フランスに二人の
過ごした住居も残っているという。
73歳の時フランス国籍を取得、カトリックに改宗した藤田を
献身的に支えた妻絹代だが藤田の死後、猫ではなく自分に従順な犬を
飼ったというが分かる気がする。

7/3 現代歌人集会 春季大会 長浜ロイヤルホテルへ出掛ける。
パネルディスカッションの若手のやりとりを聞きながら
ふと歌人は猫派ではと思ってしまった。一見たおやかで優美と思わせる
やりとりの裏に、ひっかきこそしないが持論を曲げず攻撃もやめない。
だからこそ聴く側におもしろいと思わせるのだろう。
犬派ではこうはいかないと思う。



              アリサ  ・ささきのりこ



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