萌黄の鳥

短歌を通しての交流

記憶の中の哲学の道  紅葉

2010-11-26 21:34:47 | Weblog
哲学の道を通してを歩いたのは何十年ぶりであろうか。
記憶の中の道を辿りながら歩いた。
ずいぶん印象が違う。
さくらの季節ともみじとの違いもあろうが雨上がりの哲学の道は
あたたかい日差しの中で華やいでいた。
南禅寺・永観堂は何度も行っているので、今回はパスした。

  無りん庵 →叶匠壽庵→ 法然院 → 銀閣寺
 
無りん庵は明治の元勲 山県有朋の別邸、南禅寺界隈には多くの別荘が
あるが公開しているのはここだけという。琵琶湖疏水をふんだんに取り
入れた、伝説の庭師小川治兵衛の池泉回遊式庭園が見ものとあったが
テレビ公開があまりにも見事だったので少し期待外れであった。
叶匠壽庵(かのうしょうあん)みたらし団子はお餅なので4つ食べると
おなかいっぱい。特製だれで今まで食べたみたらしの中で一番だった。

法然院はもみじがなければ、山気ただようさみしい寺であるがこの日は
もみじに囲まれ美しかった。
銀閣寺にこんなやさしい空間があるとは思わなかった。
記憶とは実にあいまいなものである。




   無りん庵

 
        法然院


     銀閣寺 庭





        アリサ・ささきのりこ



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今一番やりたいこと、、。

2010-11-22 10:30:33 | Weblog



速記をマスターしたい思いに今取り憑かれている。
先日行れた青磁社シンポジウムでは自分の耳で聞き書きとめる
ぞと望んだのに司会・パネラーの内容の多さとスピードに追いついてゆけない。
右耳を痛めているのも障害のひとつ。
そんなこんなでシンポジウムの記録はあいまいなものとなった。
それで速記やりたいという思いに行き着いたのである。

以下シンポジウム要約であるが間違いがあったらご指摘戴きたい。

..................

青磁社シンポジウム
「ゼロ年代の短歌を振り返る」

 第一部 講演 高野公彦
 第二部 対談 吉川宏志(塔)・斉藤斎藤(短歌人)  
 第三部 パネルデスカッション
     パネラー 穂村弘(かばん)・川本千栄(塔)
     広坂早苗(まひるの)・松村由利子(かりん)
     司会 島田幸典 (牙)  


今回のシンポジウム「ゼロ年代の短歌を振り返る」で一番印象に残った
ものはなんだったのだろう。
吉川宏志氏と斉藤斎藤氏との対談で質問する斉藤氏と答える吉川氏とが
かみ合わなかったのはなぜかということ、また
穂村弘氏と川本千栄氏との対立にも注目した。


他に興味をもったところ

- 島田幸典氏の冒頭発言。-
0年代は割合多角的であった。
新旧入れ混ざった過度期。共有に乏しく無重力である。
等身大の自分にいきつき普通のことを普通に詠う日本社会の生き写し。
インターネット短歌普及。
口語短歌の加速・文語短歌は少数となる。
「これが0年代」「0年代の評論」等がでているがわたしはこれとは
距離を置いている。


- デイススカッション中盤-

詩というものは非日常的なものである。
(日常詠ばかり詠んで)とめどなく口語にしてゆくものではない。
口語短歌でうたっている野口あや子などもここぞというとき
文語を使っている。-広坂氏 -

この原則があるのに何故変わったのはなぜか - 島田氏-

以前は小さなものから大きなものを詠った。
現代ネット等の波及でこれが無限大となる。
だから等身大のものを読むようになったのではないか。-穂村氏-


- 後半、川本知栄氏は -

「リァリテイはだめでリアルでなければならないと言っているのは誰か」
穂村弘にむけての質問、川本氏のこの声も斉藤斎藤氏と吉川宏氏の対立も
実は同質のものではないのか。
ひたすら新しいものを求めつづけるものと、従来の良さを継承したうえで
あたらしさを求めるのものとの、その許容量の相違ではないだろうか。


デスカッションの最後の方はあわただしかったが

定石があって最初から存在していた訳ではない。
秀歌により定石を学び共有財産として別のものがあって
いいのではないか。島田氏の言葉で終わった。



     アリサ ・ささきのりこ



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