今回は、何となく写真無しです(^^;
ある日の週末。
知人の主催する、とある勉強会に参加するため、東京都三鷹市へ。
三鷹市は、東京都心で働く方々のベットタウン。
商業都市ではないけれど、古くからの良い珈琲店が残る街でもあります。
せっかく三鷹に行くのだから・・・と、チョイと早目に家を出て、三鷹へ。
久しぶりに本物の「珈琲」を戴きに、足を向けました。
中央線・阿佐ヶ谷駅から中央線に乗り込み、三鷹駅へ。
三鷹駅を下車し、初夏の厳しい日差しの中、南口からま~っすぐ歩くこと、10数分。
少し外装を手直ししているものの、古き昭和の風情の、小さな暖簾の出ている小さな珈琲店へ到着。
店内も、外装に違わず、木製の黒を基調とした深みのある造りで統一。
店主はあまり愛想が良いとは言えませんが(笑)、珈琲の腕は確かな人。
焙煎も抽出も、店主の哲学があり、その味を具現化し続けている珈琲店。
少し前に、カフェスペースをグッと減らし、今では実質1種類のみの珈琲提供。
現在は主として、各種焙煎豆の販売に特化し始めています。
通りの音は少し入るものの、無駄な音はほとんど無い、店内。
黒で統一された二人掛けの小さなテーブルで、ブレンドを戴きました。
美しいカップに注がれた、深すぎない、浅すぎない、一杯。
熱すぎず、それでいて「ぬるい」でなく、口につけた瞬間から流れる味わい。
口元、のど元を流れ、スルスルと。
主張せず、肩張らず、言い訳せず。
何より押し売りのない、味。
・・・こんな感じで何時間も居そうな気配もありましたが、そう、勉強会が。
店主と大したお話もせず(このお店ではいつも、ですが。)、後にしました。
程よい距離感と余韻に包まれながら、勉強会へ。
勉強は、人の性質と気質、その関係性。何よりも自分を知る、内容。
内容は専門的であり、哲学的でもあり。
今の自分の信念が揺らいでいる時には、理解するのになかなか難解で。
珈琲だけに邁進していた頃であれば、あっという間に咀嚼できたであろうけど。
講師は新進気鋭。素晴らしい向学心と鋭敏な感性を持つ方。
連続して講座を受けるのは難しいかもしれなけど、通うに値する内容。
今の私には、初心を感じさせるこの雰囲気と、初心を思い起こす時間が必要で・・・。
ここ数年、長く揺れ続けている自分の方向性の見定めには、多分、
こういった勉強や、今の仕事や、実家の家族のことや、何より珈琲のために必要な事。
この日最初の珈琲の味と、久しぶりにお世話になった講師の方々との時間を携え、帰路。
実はこの日、もう一つ予定が。
それは、珈琲焙煎。
私にとってなんら特別ではないけれど、一種、哲学的な空気を纏いながらの焙煎は、
ここのところの仕上がりに、間違いなく違いをもたらしているはず。
人に売るものだから、味わいの「ブレ」ではけっしてないけれど・・・。
珈琲って、焙煎も、抽出も、まじめにやればやるほど、まじめにできるものなんです。
何かに頼り切ると、刺激ばかりで、かえって個性は希薄になるでしょうね。
強い刺激が蔓延し、鋭い寛容さが乏しい近頃の中でも、息抜ける時間を作りたい。
そんな想いを持ちながら、細々とでも、珈琲のことは続けるつもりです。
幸い、発送した先で、美味しくお飲みになっている便りを戴きました。
できればこれからは、もう少し珈琲に対する時間を作りたいと思っています。
珈琲の味は、私にとって方位磁石(コンパス)みたいなものですから。
日をおいて、冷凍してあった自分の珈琲を、飲みました。
とても素直で、よくできています(笑)
自画自賛で恐縮です。
出来立ての旨さは、試供品のそれとは雲泥の差。
ま、それも、珈琲店として、その場で飲ませるために作っているのだから仕方ないけど。
そんな言い訳をしながら、今日も珈琲、いじっています。
珈琲以外のことでも、悩みつつ、考えつつ。
そんな事の、繰り返し。
ある日の週末。
知人の主催する、とある勉強会に参加するため、東京都三鷹市へ。
三鷹市は、東京都心で働く方々のベットタウン。
商業都市ではないけれど、古くからの良い珈琲店が残る街でもあります。
せっかく三鷹に行くのだから・・・と、チョイと早目に家を出て、三鷹へ。
久しぶりに本物の「珈琲」を戴きに、足を向けました。
中央線・阿佐ヶ谷駅から中央線に乗り込み、三鷹駅へ。
三鷹駅を下車し、初夏の厳しい日差しの中、南口からま~っすぐ歩くこと、10数分。
少し外装を手直ししているものの、古き昭和の風情の、小さな暖簾の出ている小さな珈琲店へ到着。
店内も、外装に違わず、木製の黒を基調とした深みのある造りで統一。
店主はあまり愛想が良いとは言えませんが(笑)、珈琲の腕は確かな人。
焙煎も抽出も、店主の哲学があり、その味を具現化し続けている珈琲店。
少し前に、カフェスペースをグッと減らし、今では実質1種類のみの珈琲提供。
現在は主として、各種焙煎豆の販売に特化し始めています。
通りの音は少し入るものの、無駄な音はほとんど無い、店内。
黒で統一された二人掛けの小さなテーブルで、ブレンドを戴きました。
美しいカップに注がれた、深すぎない、浅すぎない、一杯。
熱すぎず、それでいて「ぬるい」でなく、口につけた瞬間から流れる味わい。
口元、のど元を流れ、スルスルと。
主張せず、肩張らず、言い訳せず。
何より押し売りのない、味。
・・・こんな感じで何時間も居そうな気配もありましたが、そう、勉強会が。
店主と大したお話もせず(このお店ではいつも、ですが。)、後にしました。
程よい距離感と余韻に包まれながら、勉強会へ。
勉強は、人の性質と気質、その関係性。何よりも自分を知る、内容。
内容は専門的であり、哲学的でもあり。
今の自分の信念が揺らいでいる時には、理解するのになかなか難解で。
珈琲だけに邁進していた頃であれば、あっという間に咀嚼できたであろうけど。
講師は新進気鋭。素晴らしい向学心と鋭敏な感性を持つ方。
連続して講座を受けるのは難しいかもしれなけど、通うに値する内容。
今の私には、初心を感じさせるこの雰囲気と、初心を思い起こす時間が必要で・・・。
ここ数年、長く揺れ続けている自分の方向性の見定めには、多分、
こういった勉強や、今の仕事や、実家の家族のことや、何より珈琲のために必要な事。
この日最初の珈琲の味と、久しぶりにお世話になった講師の方々との時間を携え、帰路。
実はこの日、もう一つ予定が。
それは、珈琲焙煎。
私にとってなんら特別ではないけれど、一種、哲学的な空気を纏いながらの焙煎は、
ここのところの仕上がりに、間違いなく違いをもたらしているはず。
人に売るものだから、味わいの「ブレ」ではけっしてないけれど・・・。
珈琲って、焙煎も、抽出も、まじめにやればやるほど、まじめにできるものなんです。
何かに頼り切ると、刺激ばかりで、かえって個性は希薄になるでしょうね。
強い刺激が蔓延し、鋭い寛容さが乏しい近頃の中でも、息抜ける時間を作りたい。
そんな想いを持ちながら、細々とでも、珈琲のことは続けるつもりです。
幸い、発送した先で、美味しくお飲みになっている便りを戴きました。
できればこれからは、もう少し珈琲に対する時間を作りたいと思っています。
珈琲の味は、私にとって方位磁石(コンパス)みたいなものですから。
日をおいて、冷凍してあった自分の珈琲を、飲みました。
とても素直で、よくできています(笑)
自画自賛で恐縮です。
出来立ての旨さは、試供品のそれとは雲泥の差。
ま、それも、珈琲店として、その場で飲ませるために作っているのだから仕方ないけど。
そんな言い訳をしながら、今日も珈琲、いじっています。
珈琲以外のことでも、悩みつつ、考えつつ。
そんな事の、繰り返し。