日々是修行

芸術と自然を愛するSINDYの平和で穏やかな日々を綴った日記です(^-^)/

恋する兄ぃ

2012-06-28 22:06:54 | 家族
久々に,兄ぃの近況を書きます。



兄ぃが,最近何だか嬉しそうです。

笑顔が多くなり,表情も明るいです。


・・・何かいいことあったの?

きいてみました。


兄ぃは,小声でぽつりと言いました。


「・・・女の人と・・・友達になった・・・」


これをきいて,僕もすごく嬉しくなりました!


今まで,女の人と仲良くなることがなかった兄ぃが!

女の人とは,仲良くなるどころか,兄ぃの個性ゆえに敬遠されたり,嫌われたり,つらい経験ばかりしてきたから・・・


兄ぃの話では,その彼女も同じ作業所の仲間で,うつ病で長い間ひきこもっていたそうです。

作業所には,他にも男の人は何人もいるのに,彼女は兄ぃとしか話さないんだとか。

うつ病であって,唯一心を開くのが兄ぃだなんて不思議!

何かお互い波長がピッタリ合ったんでしょうねぇ・・・


さらに,彼女についてきいてみました♪

彼女はどんな人?芸能人の誰かに似てる?


兄ぃは,またボソッと言いました。


「・・・堀北真希・・・」


かわいいですねぇ~!!


僕もおちおちしていられませんなぁ・・・(笑)


こんなわけで,兄ぃはただいま青春真っ盛りです♪♪

無財の七施~その7 房舎施~

2012-06-27 18:08:56 | 徒然
無財の七施。

連載で書いてきましたが,今日が最後の七番目の施し,房舎施(ぼうしゃせ)です。

これは,宿を貸しなさいという教えです。


現代は,自分の家に誰かを泊めることがなくなりつつあります。

親戚でさえ,冠婚葬祭の時でもホテルや旅館に泊まり,実家に泊まることがなくなっています。

自分の家に,どなたでも喜んでお迎えすることは,大きな施しなのです。

お迎えをされた人は,とても喜びます。

そして,お迎えをする人は,喜んでもらえるように,家を掃除したり心配りを自然とするようになります。

心配りをすることは,自分自身の日頃の行いを正すことにもつながるのです。

人に喜んでいただき,自分を正す。

これが,房舎施のもつ大きな意味なのです。




七日間にわたって,「無財の七施」について書きました。

七つの施しのうち,どれか一つ実行できれば,自然と他のすべての施しもできるようになるのです。

僕も今,一つずつ実行していこうと励んでいる途中です。

一人でも多くの方が,無財の七施に関心をもって,実行しようと思っていただけると嬉しいです!

無財の七施~その6 床座施~

2012-06-26 22:51:08 | 徒然

無財の七施,第六は床座施(しょうざせ)といいます。

 

簡単に言えば,席を譲るということです。

 

 

お年寄りの人,身体の不自由な人,妊婦の人。

 

世の中には,いろんな苦労のある人たちがたくさんいます。

 

そんな人たちの苦労を,少しでも和らげてもらうための施しです。

 

電車やバスなどの座席,あるいは公園のベンチなど,気軽に代わってあげられる心を養うことが大切です。

 

どんな場所でも,席を譲る気持ちで過ごしていきたいです。


無財の七施~その5 心施~

2012-06-25 22:39:56 | 徒然

無財の七施,第五の施しは心施(しんせ)です。

 

思いやりの心で人と接することが,大きな施しになるのです。

 

仏教でいう思いやりの心とは,慈悲と呼ばれるものです。

 

慈悲とは,人の苦しみを自分の苦しみ,人の喜びを自分の喜びとして受け止めることです。

 

 

たいていの人は,人の苦しみはある程度受け止めます。

 

あの人かわいそうに,お気の毒に…という具合にです。

 

だけど,人の喜びを受け止めることは,なかなかできていないのです。

 

それどころか,人の苦しみを自分の喜びとして受け止めるという悪しき行いをしている人もいます。

 

自分が嫌いだと思っている人が不幸になったら,「ざまあみろ」なんて言って喜んだり…

 

また反対に,人の喜びが自分の苦しみになってしまうこともあるでしょう。

 

誰かが幸せになったら,悔しいと思ったり,嫉妬したり…

 

 

思いやり,慈悲の心をもつと,その心は自然と顔にもあらわれるし,行動にもあらわれます。

 

無財の七施のなかでも,心施がもっとも重要な施しとして位置づけられています。

 

人の苦しみは我が苦しみ,人の喜びは我が喜び。

 

そう受け止める心を育てていかなくてはなりません。


無財の七施~その4 身施~

2012-06-24 18:29:41 | 徒然

無財の七施,四番目は身施(しんせ)です。


少しでもよいことを思いついたら,実行することを心がけるのです。

自分の身体を,世のため人のために使わさせてもらうというのは,奉仕,ボランティアの心です。

それは,人に喜んでもらえると同時に,自分自身も心の満足感を得ることができるのです。


人が見ていても見ていなくても,よい行いをすることが大切です。

誰もいないからしなくてもよいでは意味がありません。


世のため人のため,と思ったことを,人が見ていても見ていなくても実行する。

それが,身施の心構えなのです。


無財の七施~その3 言辞施~

2012-06-22 23:20:49 | 徒然

無財の七施,今日は第三の施し,言辞施(ごんじせ)です。

 

それは言葉による施しです。

 

日常生活のなかで,言葉は必要不可欠です。

 

一つの言葉で笑い,一つの言葉で楽しい。

 

逆に一つの言葉で傷つき,一つの言葉でけんかになる。

 

言葉にはそれぞれ心があるのです。

 

だからやさしい言葉で相手に接していくことは,大きな施しになるのです。

 

仏教のなかで,言葉に関わる悪は,以下の4つあります。

 

1,うそをつく

2,きれいごとを言う

3,悪口を言う

4二枚舌を使う

 

4の二枚舌とは,一度約束したことを平気で破ったり,告げ口をして人同士の仲を裂いたりするなど,自分勝手に言葉を使うことです。

 

言葉によって,喜怒哀楽が左右されることはたくさんあるので,正しい言葉,やさしい言葉を使うことが大事なのです。

 

 


無財の七施~その2 和顔施~

2012-06-21 22:19:13 | 徒然

昨日に引き続き,無財の七施について書きます。

 

今日は,第二の施し,和顔施(わげんせ)です。

 

和顔施とは,「和顔」すなわちにこやかな顔で,人と接することです。

 

人生の積み重ねというものは,自然と顔にあらわれてくるのです。

 

人に意地悪ばかりしていたら,意地悪な顔になります。

 

怒ってばかりいる人は,怒りに満ちた顔になります。

 

だから,にこやかな顔で接していくことが大事なのです。

 

にこやかな顔は,相手を安心させるし,相手の心を和ませてくれます。

 

世の中は腹が立つことが多いですが,できる限りにこやかな顔,笑顔で過ごすことを心がけていきたいです。

 

 

 

 

 

 


無財の七施~その1 眼施~

2012-06-20 20:52:28 | 徒然

ついこないだ,お寺で和尚さんから教えを受けました。

 

その教えとは,「無財の七施(むざいのしちせ)」というものです。

 

お金も物もない状態(無財)であっても,少しでも人を救える,喜んでもらえる七つの方法があるのです。

 

その無財の七施とは,以下のとおりです。

 

①眼施

②和顔施

③言辞施

④身施

⑤心施

⑥床座施

⑦房舎施

 

 

今日は,第一の施し,眼施(げんせ)について書きます。

 

眼施とは,読んで字のごとく目による施しです。

 

常に優しい目で人と接することが眼施です。

 

優しい目で人を見るというのは,人のよいところ,長所を見て,お互いを認め合うということなのです。

 

人を思いやる優しさがあれば,周りの人たちも,自然と優しい気持ちになるのです。

 

 

昨今,心の豊かさがない世の中,人はなかなか相手のよいところに目が向きません。

 

悲しいことに,心の貧しくなった人たちは,相手の短所や欠点ばかりに目が向いて,悪口を言ったり,馬鹿にしたりするのです。

 

人のよいところを見る豊かな目を養うことが,眼施なのです。

 

 

 


ボウズ頭

2012-06-16 20:24:00 | 日常
髪をバッサリ,ボウズ頭にしました!

結えるくらいに伸ばしていた髪でしたが・・・

でも,お坊さんになるわけではありませんよ(笑)

ただ,すっきりしたくなったんです。


髪を刈り終えたら,何だか心身ともに軽くなった気がしました。

僕の内に潜む,妄想,煩悩も一切取り除いた。

そんな気分です。



・・・まあ,そんな堅苦しい考えは抜きにして,とにかく涼しくて軽い!!(笑)

まさにエコであり,クールビズなんです!☆


今年の夏は,軽やかに過ごしますよ♪♪

街の空気

2012-06-14 17:37:31 | 日常

 

昔,西行というお坊さんがいました。

 

現在放送中のNHK大河ドラマ「平清盛」で,藤木直人さんが演じていますが…

 

 

西行法師は,僧侶である一方で,歌人としても有名です。

 

願わくは花の下にて春死なん…という歌,きいたことがないでしょうか?

 

さらに西行法師は,京の都にも足を運び,庶民の話をよくきいていたともいいます。

 

 

そんな西行法師にたとえるのは恐れ多いですが…

 

僕は先日,おそらく数ヶ月ぶりに街に出ました。

 

ここんとこ,ずっと山寺で暮らしていたので,何か不慣れな気持ちでしたね…

 

なぜ街に出たかというと,以前ボランティアでおじゃましたデイサービス・ハーブの家のみなさんに会うためです。

 

先日のお礼ということで,夕食に招待されました☆

 

僕のギター演奏は,予想以上の反響があったそうで,うれしい限りです!!

 

 

食事しながら,いろんな思いを打ち明けました。

 

僕が介護の現場で体験した,一連の出来事…

 

ハーブの家のみなさんは,僕が決してまちがっていないと言いました。

 

マニュアルに無理やりねじ込むことをしてはダメなんだ,と。

 

僕は思い返せば,今までは時期尚早だったのかもしれません。

 

介護の現場では,次第に豊かな発想が必要になりつつあります。

 

その時こそ,僕が本当に持ち味を発揮できるかもしれませんね

 

 

…それにしても…

 

数ヶ月ぶりの街の空気は,何とも騒々しいですね…

 

あらゆる欲望,煩悩,妄想が渦巻いている。

 

そう感じました…

 

 

いずれ僕も,この俗世間に戻る身です。

 

少しずつ,街の空気に慣れることも必要ですね…