本当なら九州に修学旅行に行くはずだったのだが不参加。
極真会館主催 第6回全日本空手道選手権大会を観に行くのだ。
大会観戦ははじめてである。
初の2日間にわたるこの大会は
結果は優勝 佐藤勝昭 準優勝 東孝 3位 盧山初男 4位 西田幸夫
となるが壮絶な戦いだった。
今みたいにルールも進行も確立されていなかった時代である。
顔面反則も簡単にとらないし
掴みでからのひざ蹴り
関節蹴り
投げ技もポイントにならないだけでみんな使っていた。
まさに潰し合いだった。頭突きがさすがに無かったか。
審判も極真だけではなく韓武館の武田昇 養秀会の山本守など錚々たる顔ぶれだ。
個人的には山崎先輩が引退されていたのが残念だった。
盧山選手は不調で二回戦で韓武館の国吉謙二選手に右後ろ回し蹴りで技ありをとられてしまう。
廬山選手イマイチ不調のようだったが
まさか他流(とはいえ韓武館)にやられるとは。
見事にこめかみに入り廬山選手が腰からガクンと落ちた。
今だったら本戦判定負けだが
そこは時代のなせる技
今だったら本戦判定負けだが
そこは時代のなせる技
大山茂主審のアナウンス
『このダウンの前に私は廬山選手の正拳突き技ありをとったが副審が取らなかった。
すでに廬山選手は『技あり』を取っているので本戦は引き分けだ』
と物凄い(笑)強引な説明で
延長に突入
とはいえ廬山選手
恐らく国吉選手を殺す気でいったのであろう。
下段で技ありをとって国吉選手に逆転勝ちするのだが
下段で技ありをとって国吉選手に逆転勝ちするのだが
見ていて怖かった。
大石先輩の妖刀村正のキレ技、西田先輩の盤石な安定した組手
下段蹴りと圧倒的パワーで前進する東選手
気合だけで相手を押し出す佐藤俊和選手などみんなすごいが
やはり佐藤勝昭選手の鬼気迫る気迫がやはり一歩抜きん出ていたようだ。
128選手の試合全部は覚えていないが
特に今でも強烈に焼き付いている選手がいた。
渋谷支部の先輩 前田比良聖選手は一回戦負けだったが
その相手選手のファイトにすごく惹かれたのだ。
三瓶啓二という本部茶帯、初参加の選手である。
打たれても打たれても前に出ていく気迫とパワーが凄かった。
それが災いして準々決勝では佐藤選手に顎を割られてしまう。
弱点はあるものの
後年このスタイルが自然と自分の組手スタイルになっていく。
高石さんが
「いずれは出て闘ってみたい」
さすが高石さんは気合のかたまりだ。
俺は
『こんな世界で本当に黒帯まで行けるんだろうか?』
とビビったというのが本音だった(笑)。
ちなみに余談だが
この前月1974年10月30日に
ボクシング世界ヘビー級タイトルマッチがアフリカのコンゴで行なわれた。
そう! アリvsファアマンの世紀の一戦 「キンシャサの奇跡」である。
早退してテレビ前で かぶりついていたが今で言う
本当に「鳥肌たった!」ってやつである。
先日 以前から期待されていた世界戦があったが
その勝者が
「俺はモハメッドアリを越えた偉大なチャンピオンだ」
と言ってるそうだが
さすがに
「ふざけるな」
と言いたい。
ピークを越えたアリがどれほどのリスクをこえて
倒しに行ったのかと!。
最も今のフルコンタクト空手界も十分ポイント制になってきた。
それだけにまだまだルール確立されておらず
現在のレベルには到底及ばないが
殺伐としていた
当時のオープントーナメントは
何が起こるかわからなかったので
見ている方も気が抜けなかった次第。