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いわゆる「従軍慰安婦」問題について-その17

陸軍大臣による「陸達第四八号 野戦酒保規程改正」(1937年9月29日)を契機として急速に拡大していった軍

 
慰安所であるが、一番最初に設置されたのはいつだったのか。
 
 それは1932(昭和7)年におきた第一次上海事変の時であった。
 
 在上海総領事館による「昭和七年十二月末調 邦人ノ諸営業」によれば、海軍慰安所が17軒あることが報告さ
 
れている(吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店 1992年11月27日 90頁)。
 
 そしてこのときの設置理由が在上海総領事館「昭和十三年中ニ於ケル在留邦人ノ特種婦女ノ状況及其ノ取締
 
並ニ租界当局ノ私娼取締状況」(1938年)に述べられている。
 
 そこには
 
「二,酌婦   在留法人経営ノ貸席ハ内地公娼性ニ依ル乙種芸妓(娼妓)ヲ抱ヘ明治四十年七月貸席ヲ開業シ
 
タルモノナルガ昭和四年六月上海公安局ハ管下全般ニ亘リ支那人公娼廃止ヲフ(管理人注:人偏に布)布スルト
 
共ニ支那街ニ在リシ邦人業者ニ対シテモ閉鎖ヲ強要スル等ノ態度ヲ示シ一方之ニ呼応シテ本邦人ヲ以テ組織
 
スル婦人矯風会上海支部モ公娼制ニ極力反対ヲ唱ヘ外務省ニ陳情スル等ノ運動ヲ為シ社会問題トシテ取リ挙
 
ゲラレタル事アリ国際都市ニ於ケル邦人ノ体面ト社会風教上常ニ問題視セラルルニ顧ミ当館ニ於テモ同年公娼
 
廃止ニ代ルベキ弁法トシテ料理店酌婦制度ヲ設ケ爾来抱酌婦ノ改善ヲ計リ来リタル処昭和七年上海事変勃発
 
ト共ニ我ガ軍隊ノ当地駐屯増員ニ依リ此等兵士ノ慰安機関ノ一助トシテ海軍慰安所(事実上ノ貸席)ヲ設置シ現
 
在ニ至リタル」(財団法人女性のためのアジア平和国民基金編 『政府調査 「従軍慰安婦」関係資料集成 1 
 
警察庁関係公表資料 外務省関係公表資料』龍渓書舎 1997年3月20日 448-449頁)」
 
とあり、慰安婦、慰安所の設置という問題が、国内での廃娼運動の動きや海外での買売春禁止の動きと逆行し
 
ていることがわかる。
 
 また陸軍では岡村寧次が次のように述べている。
 
「昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。
 
昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、
 
長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。
 
 現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは
 
慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。」(明治百年史叢書99『岡村寧次大将資料 戦場
 
回想篇』原書房 1970年 302-303頁)」
 
 「長崎県知事に要請して」とあるように、慰安所設置の初期の頃より地方長官が協力していたことがわかる。
 
 日本人や朝鮮人の慰安婦が到着するまでは閉鎖された売春宿を解禁し、中国人女性を慰安婦にしていた部
 
隊もあった。
 
 「混成第一四旅団司令部の「昭和八年七月自一日至一〇日衛生業務旬報」によれば
 
 「山海関支那人遊郭ハ駐留以来駐留規定ヲ以テ立入禁止区域ト定メラレアリタルモ、諸種ノ関係ニテ各隊ヨ
 
リ、禁止ヲ解除セラレ度、意見出テタルヲ以テ支那娼妓ニ対シテ検黴ヲ実施スルヲ得ハ解禁スルモ可ナリトノ意
 
見纏マリ、軍部ニ於テ、検黴スルコトニ就キ治安維持会ト交渉シ其ノ快諾ヲ得タルヲ以テ来ル十四日厳格ナル
 
検黴ヲ実施シタル後十六日ヨリ、駐留規定ヲ改メ立入リヲ許可セラルルコトトナリタリ」(前掲『政府調査 4 国立
 
公文書館所蔵資料、大英帝国戦争博物館所蔵資料、厚生省関係公表資料』201-202頁)
 
とあり検黴を実施するが、結果は性病罹病者が多数いるにもかかわらず、解禁される。
 
 「1   支那娼妓ノ検黴ハ十四日実施シ爾後毎週一回実施スルコトニ定メタリ、成績ハ極メテ不良ニシテ、概
 
ネ三〇%以上ノ罹病者アル状況ナルモ、諸種ノ関係ニテ駐留規定ヨリ立入ヲ解禁スルコトニ決セリ   
 
  2   支那娼妓ノ罹病者ノ治療ヲ満州国々境検疫所医員ニテ施療ヲ実施スルコト協定実施セリ」(「昭和八年
 
七月自一一日至二〇日衛生業務旬報」 前掲『政府調査 4』207頁)
 
 その後は
 
 「司令部付軍医正ハ本旬山海関ニ於ケル日鮮支人芸酌婦検黴状況並ニ妓楼ノ花柳病予防施設等ニ関シ視
 
察セル結果支那人娼妓ハ有毒者常ニ他ニ比シ多数ヲ占ムルニモ拘ラス、治療ノ要求ニ応セス、且ツ予防的施
 
設ヲモ行ハサルヲ以テ、有毒者ハ逐日増加ヲ見ツツアリ、   一面多数ノ移住日鮮人娼婦ニヨリ需要ハ充分ナ
 
ルノ現況ヲ看取シ衛生部員ノ過少ニシテ余力ニ乏シキ現下支那人娼妓ノ検黴ハ徒労ナルヲ以テ、爾今之レヲ廃
 
止スルノ可ナルヲ決意シ、之レカ意見具申ヲナシ、関係部隊ニハ実況ヲ通報シ兵員ノ之レニ接セサル様特ニ注
 
意ヲ促セリ   尚前所部隊ニ於テモ同地日鮮人芸酌婦ハ有毒者多数ナルヲ以テ、六軒中四軒ニ立入禁止ヲ命
 
セリ」(「昭和八年七月自一一日至二〇日衛生業務旬報」 前掲『政府調査 4』214-215頁)」とある。
 
 これらを見てもわかるように、慰安所の設置については初期の頃から軍が主導となり行っていたのである。
 
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