STAY GREEN~GREENのブログ~

京都市在住で京都の近代史を勉強している者です。なお、ブログの趣旨に添わないコメントは削除させていただく場合があります。

井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その36

2015-11-29 00:05:00 | 戦争体験記
〈著者によるあとがき〉        あとがき       本書は、昭和十二年(一九三七念)三月はじめからニ十一年(一九四六年)末にかけて中国各地を転戦し、北は北京周辺から南は広東(カントン)省北部まで、十年間にわたって踏破した私が各地で体験、見聞した事実をもとに記述したものである。       本文にもしるした通り、私は昭和十二年に現役初年兵 . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その35

2015-11-28 00:05:00 | 戦争体験記
〈著者のBC級裁判についての気持(1946年8月20日)〉      ところが八月二十一日の午前、戦犯容疑取調べのため至急管理処まで出頭せよ、という命令書を持った中国側の憲兵軍曹が突然私を呼びにきた。さきには長沙憲兵分隊の特高班長古川曹長が中国側スパイ殺害の罪を問われ戦犯として刑死し、また九江憲兵分隊特高班の小笠原軍曹が、同じ罪で住民たちの前にさらされ暴行を受けていた。さ . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その34

2015-11-27 00:05:00 | 戦争体験記
〈1946年の正月(1946年1月1日)〉      やがて昭和二十一年の正月を迎えることになった。私たちはとぼしい財布をはたいて酒と肉を買い、貧しいながらもせめて新年を迎える仕度をととのえ、心ばかりのお礼にと、日ごろ世話になっている陳家の主人と村長、甲長(カチァン=隣組の組長)の三人を呼んでささやかな宴をもよおした。しかしこれは宴とは名のみで、土間にわらをしいた上に毛布 . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その33

2015-11-26 00:05:00 | 戦争体験記
〈湖南集中営で兵隊たちの間でよく歌われていた「湖南進軍賦」(1945年12月)〉     一、芒(すすき)の葉末に光るは露か           やさし湖南のお月さま           民(たみ)安かれと軒下に           今日もごろ寝の部隊長              兵が着せゆく雨外套      二 . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その32

2015-11-25 00:05:00 | 戦争体験記
〈集中営について(1945年)〉      集中営(しゅうちゅうえい)とは捕虜収容所の別名とでもいうべきものだが、特定の建造物のなかに一括収容して監禁管理する収容所とちがい、一定地域の民家を借用して分散宿営することになっていた。したがって住民たちと同一地域内に生活するため柵その他、指定地区内の行動を制限する施設もなく、管理はきわめてゆるやかで、私たちの行動や生活は自由に近 . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その31

2015-11-24 00:05:00 | 戦争体験記
〈日本軍に協力した中国人の姿(1945年9月3日)〉      ひさしぶりに長沙へ帰ってきた私は、長沙の町がなつかしく、身の危険を忘れて勝手知った市内を歩き回った。私たちがイ(管理人注-変換漢字なし)県へむかってたっていったころに比べると、町は見ちがえるほど復興していた。住民も多くなり、かつての焼跡には木の香も高い新しい家が建ち並び、表通りにはかなりの数の商店ができていて . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その30

2015-11-23 00:05:00 | 戦争体験記
〈暴落した日本軍の軍票(1945年8月25日)〉      やがて易家湾駅へつくと、ここには野戦軍事郵便局があって、兵隊たちが持つ軍票を回収するため、通過する部隊にたいして預金をすすめていた。私たちもそれぞれ何がしかの預金をしたが、その後の苦しい俘虜生活を思えば、せめてこの金でラーメンの一杯でも皆で食べればよかった、と悔やまれた。       二、三日前に私 . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その29

2015-11-22 00:05:00 | 戦争体験記
〈各地での混乱について(1945年8月17日)〉      こうした混乱のなかでうわさがうわさを生み、これが兵隊たちの口から口へ無秩序に広がっていった。某部隊に中国側の軍使がきて武装解除を要求したのでこれを捕えて斬首した-、本国は敗れても中支軍はまだ充分な戦力を持っているので現地に第二の日本をつくるのだ-、各部隊は当面の中国軍に対して今まで通りの戦闘態勢をとれと総軍司令部 . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その28

2015-11-21 00:04:00 | 戦争体験記
〈敗戦直後の状況(1945年8月15日)〉      昭和二十年(一九四五年)八月十五日-ついに運命の日がきた。午後三時、イ(管理人注-変換漢字なし)県駐留の陸軍航空隊から晴天のへきれきのような電話がはいった。木日正午、天皇陛下の玉音放送があり、わが日本は連合国にたいして無条件降伏をした、というのである。航空隊では無電を受信直後、数名の青年将校が自決したということであった . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その27

2015-11-20 00:05:00 | 戦争体験記
〈チン(管理人注-漢字変換なし)県での軍票の暴落振りと中国人・朝鮮人の様子(1945年8月)〉      町では軍票の価値が暴落していた。ラーメン一杯が一万円、中国料理一卓は三十万円にもなっていた。法幣(中国の貨幣)で一箱七十元のタバコの包み紙には軍票の百円札が使われていたが、これはどんなに粗末な紙を使うよりも安くつくからだった。町を歩けば、心なしか中国人たちの態度が一変 . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その26

2015-11-19 00:05:00 | 戦争体験記
〈宜章で見た友軍航空隊員の様子(1945年2月)〉      私が楽昌にいたころにはときどき数機編隊の友軍機が粤漢線伝いに飛来し、南の空へ飛び去っていったが、今ではそうした友軍機の姿さえ見られなくなった。二月下旬のことだった。数十名の航空隊員が広東から徒歩で引き揚げてきたのでその理由をたずねると、彼らははきすてるようにいった。      「航空隊が陸上を歩く . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その25

2015-11-18 00:05:00 | 戦争体験記
〈食糧不足と徴発を禁止するための宜章での農作地の開拓(1945年3月)〉      長沙作戦当時からわが軍の食料は枯渇状態をつづけていたが、戦線が山間部に及ぶにしたがっていよいよ悪くなっていた。このころになると、戦争は敵を討つというより生き残るための食糧獲得戦争というよよ(管理人注-原文ママ)うな情況になった。ことに来陽以南の奥漢線沿線は山岳地帯であるため食糧不足は言語を . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その24

2015-11-17 00:05:00 | 戦争体験記
〈楽昌を占領した独立混成大隊の落伍者への自決について(1945年1月8日)〉      この視察の途中、町の南部の丘のふもとにある警備隊司令部へ挨拶のため立ち寄った。ここの警備隊司令官は意外にもかつて北京の第二中隊で私たち初年兵の教育にあたっていた池尻良雄中尉で、今は少佐に進級し、独立混成大隊長としてこの地の警備についていた。池尻少佐の話によれば、この方面の攻略作戦は前代 . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その23

2015-11-16 00:05:00 | 戦争体験記
〈長沙の大空襲(1944年9月18日)〉      その後も米空軍は、パラシュート爆弾などの新兵器を使って連日空襲をつづけていた。そして六月十八日の長沙落城を記念するかのように、十月までの四ヵ月毎月同じ十八日に大規模な空襲をかさねた。この四回にわたる大空襲のうちでもっとも激しかったのは、九月十八日のものであらた。この日は長沙の落城記念日であるばかりではなく満州事変のぼっ発 . . . 本文を読む
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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その21

2015-11-14 00:05:00 | 戦争体験記
〈九江からの帰還途中での配給統制について(1942年12月)〉      列車が山海関駅へついたときには、短かい冬の日はすでにとっぶり暮れていた。列車は静かに停まった。ここから先は日本国内なみで軍票(軍の発行している日本円代用の紙幣)は通用しない。私たちは列車から降り、通貨交換所の窓口で所持する軍票を日本円に替えた。       山海関までは私たち軍人、軍属 . . . 本文を読む
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