庭に種も蒔いたし・・・ところでおじいさんはどうして一人なの?と少年の一人が聞いた。
「怖い話しだよ、それでも聞くかい?」おじいさんは戦争に行った先のジャングルで島民の女性を撃ったことををボソボソと話しだした。なぜなら見つかって敵兵に知らされるのが恐ろしかった。しかもその人はお腹に赤ちゃんがいる人だった。
その後復員してもその事を責め続け家族の元に帰ることはしなかった、自分だけが幸せになっては申し訳ないと。
その話を聞いて少年達は何とかしておばあさんを探そうと走り回った。
いたっ! おばあさんは老人ホームにいたのだが、過去の事は全部忘れ去っていた。そこで種屋のおばあさんを身代わりに立てたが、おばささんは少年達の気持ちを正直におじいさんに打ち明けた。
(ここが一番いいところで写真を撮るのを忘れてしまった。)
いつものように外から家の中を見ていた少年が「あれっ・・・おじいさんが見えない!」
おじいさんは安らかに眠るように死んでいたのだ。
少年達・・・・・・これが死というものか、悲しみがこみ上げてくる。
秋になり・・・夏に蒔いたコスモスの種が満開になり、少年達の胸におじいさんの笑顔が浮かんだ
春には無事卒業式を終えた少年達の晴れ晴れしい姿を見ることが出来た。
大まかな粗筋ですが、私の思い込みで違った部分があるかもしれませんがお許しください。
死ぬということは、自然なことでしょうね・・それが、自然と思われないところに、病があるのでしょうね・・生意気いってごめんなさい・・
そして幸せということが良くわかったことでしょう
よい大人に育ってほしいですね
自然ですが自分だけは別だと思うところに足掻きがあるのだと思います。
最近はそろそろ辞世の句でも残そうかと・・・忙しいのでそれどころではありませんが、まだ欲があるのですね。
今の子供達は大家族の中で育っていないから、情緒面に欠けるところがありますね。たくさん経験して泣いて、笑って、考えていくのがいいのではと思います。
なかなか見に行けません。
でも トモさんのブログで雰囲気が伝わってきました
ありがとうございました。
時間的に行けないですね。
昨秋の「闇に咲く花」林芙美子物語が賞をもらったためか、今年は劇団員も増えたようですし、見学者も大入りでしたので「^^♪よかったですよ。