ぼちぼちいこか。一緒に歩こう!

LDとアスペルガーのボーダーの息子と共に歩いている母の日記

戦える身体を作ろう!

2012年07月31日 | 日記
緩和ケアを勧められた友達と話した

緩和ケアを先生から勧められて、ショックで・・・
もうそこまで来たのか・・・って。
再発だし、難しいのは分かってるし、完治はできないって言われてたけど
でも、まだこれから治療もするのに・・・
申し込みしないといけないって思ってもできなくて・・・
ねえ、緩和ケアってもう駄目って事なの?

緩和の考え方が変わって来ている事を話、病院にもよるので
分からないけど、うまく使っていければ、
症状の緩和だけでなく、メンタル、療養のアドバイス・・・
すごくいいサポーターになってくれると思う

抗がん剤の治療は毒を身体に入れるという事
それだからこそ身体を作る努力をしないと
そして、自律神経を整え、身体の欲しがる食事を摂って身体を作らないと!!

まだまだあきらめる時期ではない
鍼も通い始め、仕事も頑張っている
私に相談することで重い負担をかけているのではないか・・・?
と、私の心配までしてくれた

目標はいろいろだけど、まずは戦える身体を作ろう!!

話をして少し重い気持ちが軽くなった。
と言ってくれた。彼女らしい気遣いなんだろうな?

アドバイスの方向は・・・

2012年07月29日 | 日記
緩和ケアを勧められた友達に週末相談したいと言われた
でも、どうしたらいいのか分からない
現実の先生の話は、ギアチェンジの時期が来ているように思える
でも、彼女が知りたい事、私の口から聞きたいことは何なのか?
本当の事とか、専門的な事とか・・・?
厳しい話があったけど、それは医師が病状説明する時
「一番悪い事を言う」あれだよ!って言った方がいいのか?
これから治療するのに、戦意をなくしては何にもならない
今彼女が一番必要で、もう一度戦うぞっって思える言葉を伝えたい

でも、わからない。
大丈夫だよって安易に言いたくない。
分からないまま3日くらい悩んでいる。
今も分からないけど、彼女の思いをまず聞こう
頭中を真っ白にして聞いてみよう。
そして、一人ではないって伝えたい。
どんな時も一緒に悩むよと伝えたい。
後はその場で考えよう・・・


緩和ケアの考え方

2012年07月29日 | 日記
彼女の病院の緩和ケアをネットで調べてみた
何となく腑に落ちない

予約と言うけど、外来はなく
今の医療チームで緩和ケアもやります
で、もろもろ緩和ケアの考え方を理解して入院の予約をして下さい
とある。

今の医療チームって誰と誰?
通院で抗がん剤をやっているのに
まさか、通院患者さんにプライマリーナースなんていないだろうし
先生が外来でメンタルケアするの?
経済的な事、仕事のこと、相談にのってくれるの?

この病院の緩和ケアの概念は古いって!
緩和ケアを予約=ホスピス病棟に今から予約しておけと!?

どうすればいいんだろう?
これじゃ、緩和ケアを予約するって事は
これからの治療は・・・

そんなの絶対やだ

緩和ケアなの??

2012年07月27日 | 日記
ずっと並行して私の心を重く、哀しくしていた事

ずっと卵巣がんと闘っていた友達の検査(CTなど)があって
今後の治療方針が大きく変わった

今の抗がん剤は効果がないので薬を変更する、
そして、
緩和ケアを今のうちに予約しておく方がいいと先生からアドバイスを受け
戸惑っているという
私だって戸惑う
状況がつかめず、返信が打てなかった

再発して厳しい事は分かってるけど
まだ、使える薬があるのに?

でも、緩和ケアの考え方は変わってきている
今は、治療をしながら緩和ケアも並行して行い
辛い闘病中の患者さんの生活の質をよりよくできるようにと変わって来ている
あらゆる苦痛(身体的、精神的、社会的、スピリチュアルペイン)を
できるだけ取り除けるように、医療、看護、心のケア、家庭や医療費の事まで
あらゆる事を支援できるようチームを作っている

そう言うことなんだ

彼女も頑張りやで我慢の人
抗がん剤の副作用で辛くても、なかなか言えないで我慢してしまう
だから、こうした緩和ケアチームが相談支援をしてくれたら絶対心強い
でも、先生が緩和を紹介したと言うことは
この先の闘病がかなり辛いものになるって事だ
それだけじゃない・・・
でも、そんなのやだよ

ここのところでぐるぐる回っている
ホントなんでなんだよ








ホントは二十歳の女の子なんだよ!

2012年07月26日 | 仕事のこと
僧侶のような人だったと思う
化粧をしない、いつも控えめな洋服
ゆっくりと包み込むように話す
どんなことも受け入れ、背負い、信じようとする
「家族になったんだから、やっぱり最後まで、信じて・・・
私まで見捨てること、できないから・・・」

正直私にはまねができないと思っていた
何故そこまで自分を犠牲にできるの?
自分の人生なのに、なんにも自分らしく生きてない
本当にしたい事、して欲しい事全然できてない
ましてや命にかかわる病気で療養しているのに・・・
思えば、病気が分かった時、すでに病期はⅢCだった
彼女はその事をどんなふうに受け止めていたんだろう
誰にも、あまり多くを語らなかった

再発の時も「また治療になっちゃいました~」と
いつものゆるりとした口調で教えてくれたっけ
ほんとはどんな思いだったの?

主治医から腸閉そくは腹水があるから手術できない、血小板が少ない
今の状況では抗がん剤は使えない、できる治療がない、
そう説明され、緩和ケアを勧められた日
彼女はたった一人でその説明を聞いたんだ
どんな思いだったんだろう?
一人で書類にサインして一人でベッドの中で・・・
誰に頼らず、泣きつかず、一人で耐えたんだ

あまりに辛くて、今自分の命をかけて病気と闘っているのに
両親の介護の事を心配し、夫の生活を心配し、
兄弟に心配をかけなようにし・・・なんでそんなに大人なの?
今一番大切にしてあげなきゃいけないのは
誰よりも彼女だよ!!
みんな大変なのはわかるけど、今だけは彼女を一番に考えて欲しかった

最後まで彼女はやっぱり誰よりも大人だった
これで良かったの?

唯一本音を吐き出したあの日
彼女は言ったんだ
「私、もう40過ぎのおばさんだけど、でも心はいつも二十歳の女の子なんだよ!
わかって!!」
私が、分かる分かる、心はいつも二十歳だよね!って頭を撫でたら
「そうなの!ホントはいつも女の子なんだよ!」
ホントは甘えたいんだよね!って言ったら「そうなの!甘えたいの」(号泣)
後ろで聞いていた旦那さん、伝わった?

僧侶みたいな人だったけど
そんな風に生きざるを得なかったけど
ホントは女の子だったんだよね。