![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/c5/06120a84aba90bd1846c8de7c9d09cc4.jpg)
前回、乱射や自爆の惨劇があった現場の画像をがほとんど無いと文句を言った。一つあったのだが、モザイクがかかっていてほとんど役に立たないものだった。それのモザイクなしバージョンをさんざん探してやっと見つけた。100人近くが射殺されたというコンサートホール、“バタクラン” の内部の画像である。これのモザイク版はいくらでもあるのだが、無修正版は、そこに写っているものが本物の死体かどうかは次の問題として、とにかく貴重な資料だ。ぜひコピーして頂きたい。
写真A
スマホで撮ったものと思える。
不可解な “血のハート”
死体らしきものが30体ほど横たわっているが、何よりも目を引くのは、床拭きワイパーで描いたかのような赤っぽい曲線図形である。よく見ると左右対称にようにも見える。あえて “血のハート” と呼んでおこう。
死体らしきものが横たわっている状況からして、赤い液体か、人間の血液であるようにも思えるが、不自然な点が多すぎて断言はできない。
まあ “血液のようなもの” と呼んでおこうか。これについての不自然な点を列挙しよう。
1.血液だとしても、どう見ても自然にできた “流れ” ではない。
2. 誰かが何らかの道具(床拭きワイパー?)を用いて描いたとしか思えない。
3.“血の海” があまりにも多いので滑らないように誰かが “拭き取った”のか?
4.誰がそれをしたのか?ホールの従業員か?
5.これだけの死体らしきものがあれば犯行現場であると考えて、ふつうは手をつけないだろう。
6.突入したはずのパリ警察特殊部隊の姿も見えないが、そもそもこの写真を撮ったのは誰なのか?犯人か?観客か?店の関係者か?
7.“血のハート”の手前、左側には細い曲線が見える。右側には色の濃い直線が見える。この2つの線も不可解である。どう見ても、これらは血液だとしても自然に流れた跡とは思えない。直線の方が自然に流れた跡だとしたら、相当の傾斜があることになるが、そう考えることにはかなり無理がある。
8.しかし、意図的に描いたものではなくて、上記の床拭きワイパー(?)を持ち上げて移動するときに赤い液が滴っていて、ワイパーを持つ人間が移動した際に腕が揺れたかして曲線になったとも考えられる。
9.直線の方もワイパー移動説で説明できるかもしれない。曲線の場合よりもゆっくり歩いたので、線が真っ直ぐで、しかも濃くなっていることも理解できないことはない。
10.“血のハート” は意図的なメッセージか?象徴的、儀式的意味があるのか?それともたまたまできたこれといって意味のない形象なのか?
“死体らしきもの” の数
死体らしきものは約30体見えるが、写真の構図をあらためて見ると、撮影者はバルコニー(二階席)から撮っている。そして、下のフロアの手前のかなりの部分が撮影者のいるバルコニーの黒い手すりに隠れていることがわかる。その隠れた見えない範囲にも死体らしきものが横たわっている可能性がある。そうだとすると死体らしきものの総数は実際にはここに見えているよりももっと多い可能性もある。
さて、フロアがどのくらい隠れているかであるが、下の2枚の写真と比べてほしい。写真Aでは右側がステージであると考えられる。下の写真Bでもステージは右側で、赤いライトに照らし出されている。写真Cでは手前の板敷きがステージであろう。写真Cでは整然と椅子が並べられているので、フロアのスペースを把握するのに役立つ。
写真B
コンサートホール全体がステージから見て左右対称に出来ていると仮定してみると、写真Cでは椅子席の中央ブロックと左翼ブロックは見えているが、右翼ブロックが写真に写っていないように思える。中央ブロックと右翼ブロックの間の通路までが写っているように見える。中央ブロックと左翼ブロックの間の通路がかろうじて見えていると思う。
さて、ここであらためて写真Aを見て頂きたい。フロアの中ほどに白い線が横に走っているのが見えないだろうか。これはおそらく椅子席を布置する際に通路を示す線として描かれたものではなかろうか。この白い線はずっと伸びてホール後ろの白い柱の根元に達すると考えられる。通路はもう1本あるわけで、それを示す白い線は写真Aでは見えていない。しかし、フロア全体の6割から7割は見えていると考えていいだろう。逆に言うと、フロアの約3割から4割が隠れて見えていないということだ。
写真C
さて、写真Aの撮影者はその写真を撮る際に、死体のようなものをすべて写真のフレームに収めようとしたとは考えにくい。実際、死体のようなもののいちばん手前のいくつかはバルコニーの手すりによって、すでに身体の一部が隠れている。どうやら、写真ではバルコニーの陰になっていても見えていない約30~40%の範囲にも横たわっているものがありそうである。
さて、見えている範囲の死体のようなものの数は、約30体であった。言い換えると、60~70%の範囲に30体である。とすると、フロアの見えていない30~40%部分にはまだ15~20体くらいあると推定しても許されるであろう。実際にはもっと多いことも、もっと少ないこともありうるが、確率として15~20体が潜在的に存在すると言えるだろう。
そもそもこれは “本物” か?
さて、マスコミ報道に基づく、“カラシニコフによる大量処刑” の現場とされるものの概要はつかめた。
しかし、これは“本物” だろうか?
死体のように見えるものは本当に死体だろうか? すべて死んだフリをしている役者だろうか?
赤い液体は本当に血液だろうか?大量のステージブラッドか?
実際、これをすべて “役者による演出” によって撮影することは少なくとも可能である。このたった1枚の写真のためだけに、30人以上の “役者” を使ったということは大いにありうることである。そうするだけの利用価値がこの写真には十分にあり、演出する動機も十分にあるだろう。
この可能性を避けて通れないのは、われわれが ボストンマラソン爆破事件を見てきているからである。
爆破で吹き飛ばされたはずの両足は、事件以前から無いものだった。血液のように見えた液体はステージブラッドだった。おびただしい数の “役者” が右往左往していた。
写真Aの撮影は決して素人のメモ代わりのスナップなどではない。綿密な計算の上でこの写真を撮り、リークしている。わたしは現時点では今回の被害演出作戦は “ボストン”流の実害ゼロタイプであるという考えに傾いている。しかし、9.11流の実害タイプの被害演出作戦である可能性も排除しきれない。場合によると2つの混合タイプという可能性も視野に入れる必要があるかもしれない。
120名以上(現時点で139名との報道あり) という犠牲者数は “ボストン”の公称死者数6名 を圧倒するが、“9.11”(公称死者数3025名)に比べれば、はるかに小さい。実際、死者数の数が多いほど実害ゼロタイプの被害演出は実行困難になる。120名という数はたしかに多いと言える。
“実害ゼロタイプの被害演出” である公算は?
しかし、写真Aの存在は、わたしには実害ゼロタイプを強く示唆するように思える。なぜならば、現場写真はどうやらこれ1枚のように思われるからだ。なぜ1枚だと実害タイプの公算が大かというと、本物の現場写真だったらどんな角度から撮ってもボロが出ることはなく、何枚出回ってもおかしくないからである。本物ではないからこそ、あまり分析されてバレては困るからこそ1枚しか出てこないのではないかと思うのである。わたしは現時点では、当然この写真は被害演出作戦グループメンバーの撮影によるものだと思っている。実害タイプであれ、無害タイプであれ、工作員によるものであるという考えである。
「バレちゃ困るのなら、一切出さなければいいのでは?」 という突っ込みは承知の上である。その問いにお答えしよう。一般大衆にテロが本当に起きたことを確信させるには、言葉や数字だけではダメなのである。画像や映像を使って示すのがいちばん簡単で説得力があるのである。“9.11” 然り、“ボストン” 然り。しかし、その同じ画像や映像を分析してインチキであることを暴く “困った人間” が世の中には常にいるので、あまりたくさんは出したくないというのが本音なのである。そして今回は公開の最少数として1枚なのであろう。“最小限の露出” である。写真Aはもちろん意図的に遠景で撮影している。それもプロ用カメラではなく、スマホである。そして、モザイクがかけられて広く出回っている。
それから、前回の記事にも書いたが、現場にいた複数の人間によるコンサートホール内部の撮影画像が出てこないのも大いに怪しいと思っている。上の写真Bをあらためて見て頂きたい。公称1,500人と報道されているこれだけの数の人間のうちスマホを持っていない人間が何人いるだろうか。パリ警察当局が証拠物件としてすべて押収した公算は小さい。実際、事件後にコンサートホールから外に出てきたと思われる連中の一部はスマホで電話をしている。一生のうち2度とないようなたいへんな事件に遭遇し、スマホを持っていながらだれも撮影しないということがあるだろうか。特にヘビメタのコンサート会場ならば、平均年齢は20~30歳台という若さであろう。スマホで写真や動画を撮ることは日常茶飯事のはずである。
コンサートホールにいた全員が “役者”?
「怪しい」 というのは、コンサートにいた聴衆のファンたちは全員もしくはほとんどが役者だったという可能性も考慮しているからである。つまり実際は “実行グループによる貸切りコンサート”であった可能性も捨てきれないということである。たとえば、CIAの動員力からしたらどうということもないのだ。貸し切り状態であるならば、情報のコントロールも徹底できるし、マスコミに流す “話” だっていくらでも作れるのだ。死者のIDやアリバイ工作等は CIA のお家芸である。CIA は一つの国の国家予算くらいの予算を持っている。CIA の職員は情報提供者を除いても六万人はいると言われている。もちろん女性職員もたくさんいる。少なくとも不可能なことではないのだ。
CIA のエリートはそうした、ふつうのひとがとても思いつかないような、まるで冗談のような作戦を立案し、数多く成功させては高笑いをしているのだ。CIA のトップは、そうした突拍子もないようなアイデアをハーバード大学出やプリンストン大学出のエリートが競って出し合っている世界なのである。現時点ではわたしは CIA が中心だと思っているが、まったく別の組織とのコラボである可能性も十分にある。とにかく 金と頭脳と動員力のある組織 でないとできない作戦である。いずれにしても、世界をあざむくことに長けたグループが存在すると思っていた方がいい。
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